ONIの里

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隠忍伝説(サイドストーリー)

ONIΩ ~希望紡ぐ仔らよ~ 

桃龍斎さん 作

第十話 光と闇の狭間で

先の戦いで既に尽くすべき問答を尽くしている。
それ故に沙紀は言葉ではなく、爪と牙を以て自身の思いを示す事を選んでいた。
時貞軍の兵士達を打ち払い、次なる敵の手までの間が空いた所で、時貞目掛けて爪を振り下ろす。
その爪に気づいていた時貞も半身を捻る事で避け、次に来た江の水流を左手から展開した光の盾で防ぎ、最後に繰り出されたオウランの太刀を己の剣で受け流す。
しかし流石に転身した3人、それも短期間で特訓して力を高めた状態での沙紀達の攻撃は激しさを増しており、一閃で吹き飛ばしても、数歩しか下がらないという状況になっている。
それでも間合いが離れたことで即座に兵士達が主を守るべく時貞の周囲に入り込み、剣や槍を突き出して牽制に出る。
僧兵達も光の弾や炎、冷気、電撃等を放って援護している為、間合いが一定間隔で保たれ始めた。
「どうやら、時貞を倒したけりゃ、自分達の屍を越えてけって事だな!」
「己を盾としてまで主を守る、その心意気は認めなければならないが、我々は止まらん!」
「ええ。時貞さん、私達はあくまでこの道を進みます!止めても無駄です!」
沙紀達はそう吼えて突撃を掛ければ、時貞も己を先頭に立て、左右に槍兵や剣兵、後方に弓兵や僧兵を置く陣形で迎え撃つ。
「突貫を狙うか!ならば鉄壁の防御で打ち砕くまでだ!撃てぇっ!」
時貞の号令に応じて、弓兵と僧兵が一斉に射撃及び炎の術で沙紀達を狙い撃つ。
それらの攻撃を江が伸びる両腕を鞭のように振り回して弾いていき、次に左右から挟み撃ちに入ろうとした槍兵や剣兵はオウランの太刀で次々と斬られていく。
残った沙紀は、やはり同じく一人だけの状態となった時貞目掛けて右手の爪を突き出し、同時に発生した幾つかの巨岩を勢いで飛ばす。
「私を侮るな、半妖!!」
時貞は右手に握った剣を上空に掲げて雷雲を呼び、その雷雲から叩き落とされた雷を横薙ぎの一閃と共に飛ばす。
その雷によって巨岩は粉々に砕け散り、突き出された爪も半分程が斬られてしまい、沙紀自身も雷の直撃を喰らって吹き飛ばされた。
「くっ!侮ってなんか、ない!」
反論と共に空中で回転し、そこから空を思い切り蹴る事で矢のように駆けた沙紀。
彼女は今一度とばかりに左手の爪を伸ばして加速を掛ける。
「むっ!?あくまでお前が、私を阻むというのか!己の傷を理由として、私を止めよう等と!」
今度の攻撃は流石に落雷が間に合わず、雷の失せた剣で受け止めざるを得なかった時貞。
そこから2人は競り合いに入っていたのだが、どちらも歯を食い縛って相手を睨む。
その視線こそが、言葉代わりとなって交錯していた。
「(あなたのやり方が、次なる悲しみを、憎しみを生むんです!それがあなた達の過去の戦いの敗因のはず!)」
「(否!全ては神こそが元凶!お前達が神の失せた世界で苦しみ、喘ぎ、同胞を次々と失っていった事を考えれば明白!五行軍が過ちとされているのならば、神はその時点で裁きを下していたはず!)」
「(それじゃあまるで、自分が神様の操り人形になる事を選ぶようなものじゃありませんか。そういう事を考えていたって聞いたら、神様はどれくらい悲しい思いをするか、分かってやっているんですか!?)」
「(くどい!悲しむのならば、悔やむのなら、助けた事ではなく、助けなかった事を悔やむ事こそが常!神は助けた事を悔やんで見て見ぬ振りを選んだ!お前達もその苦しみを受けていると知れ!!)」
競り合いが頂点に達したかと思いきや、どちらも弾き弾かれる格好で仰け反り、しかしそこから再び爪と剣が競り合いに入る。
「(くどいのはお互い様です!あなたは、辛い事に対しても寛容になるべきなんです!許せない事も許し、悲しい事を受け入れて前に進む、それが、人種も問わない人の生き方!)」
「(私が逃げていると言いたいようだな。しかし、私はその指摘を理由に私の成すべき事を止めるなどせぬ!止めてはならんのだ!!)」
「(時貞さん……!)」
もう、止められないのだろう。
時貞を討つ、それ以外に彼の憎しみに終止符を打つしかない。
だから、改めて沙紀は覚悟を決める意味で競り勝ち、彼を後退させる。
「!どうやら、私もまた侮っていたか。五行軍と渡り合って終わりかと思いきや、これ程までに力を高めるとはな……」
「それが、先に散ってしまった人達から託された想いに応えるという事です。決して負い目として感じるのではなく、未来を築く為の力として!」
沙紀は右手の爪が自然治癒で元通りになったのを見ると、腰を落として構え直し、時貞の出方を見る。
時貞も息を軽く吸い込み、剣に己の力たる邪気を纏わせていた。

一方で江は俊敏な身のこなしで矢と術の雨を掻い潜り、まずは弓兵の集まりに飛び込み、爪と尻尾で彼等を突き刺しては投げ飛ばし、薙ぎ払っては蹴り飛ばすという猛攻で弓兵達を倒していく。
ならばと僧兵達は彼の足元に向けて呪縛の結界を放つのだが、江は足元を踏み鳴らして湧き水を発生させ、その湧き水を暴龍の如く暴れさせて結界を無力化する。
「下手な加減は苛めになる。一気に行くぜ!」
攻撃が止んだ所で江は両腕をまるで鞭のように振り回しながら敵兵のど真ん中目掛けて突撃し、兵士達を次々と上空へ打ち上げて行く。
その兵士達が上空から落下を始めたところで、江の次なる攻撃が炸裂したのだが、それらは武具を集中的に破壊しただけであり、後は手足の裂傷程度であった。
オウランも同じように、槍兵の槍も剣兵の剣もそれぞれ一刀の元に切り捨て、拳で兵士達の鎧を砕きながら彼等を吹き飛ばしていた。
しかし刃が狙うのは武具だけであり、肉体を斬られた者達は居たとしても、手足に小さな切り傷を刻まれるものだけ。
まだ戦える者は素手で、丸腰でも挑み掛かろうとするが、それをオウランは闘気による突風で押さえつけ、遂には彼等を全く動けない状態にしてそれっきりとする。
江もそれを傍目から見つつ、僧兵達の杖から迸る閃光をかわしてその杖を吹き飛ばす。
杖を触媒としていた僧兵達に打つ手は無くなり、覚悟を決めたのか、彼等は懐から小さな十字架状の剣を取り出す。
僧兵達はそのまま己の首を剣で掻き切ろうとしたのだが、それらも江の放った水流で弾かれ、鱗による影縫いで身動きも完全に封じられた。
オウランの方も全ての兵士達の拘束を終えた所であり、剣を自身の装甲に戻して仁王立ちとなる。
2人の考えは最初から共通しており、それ故に何も語る事無く、この行動に踏み切ったのだ。
沙紀と時貞の、思いのぶつけ合いを全員で見届ける準備に。
「これから先、信念の貫き合い!隠忍の少女である沙紀と、お前達の主にして、世の為として戦って来た時貞、どちらが信念を貫き通せるか、しかと見届けよ!」
オウランの声に、兵士達は頷きはしなかったが、無言でそれに従う事を選ぶ。
その反応を見て、江もオウランも確信していた。
彼等時貞軍は、やはり性根までは邪悪ではなく、出来る限り流血を抑えての戦いを望んでいる事を。

兵士達が拘束されながらも見守る中、沙紀も時貞も先の取り合いで気力を消耗し始めていた。
どちらが先に動くのか、己が先に動くべきか、そして何処を狙い、何を以て攻めるか。
それらを、お互いの脳内で模擬という形で予測し、その中から最も的確な行動を探しながらの睨み合い。
汗が一筋ずつ落ちて、静かながらも間隔が短い呼吸が続く中、2人は全く同時ではないものの、心臓の鼓動が大きくなっているのを確かに感じていた。
どれほどの時が経ったか、ようやっと動き出したのは、双方同時。
沙紀が姿を消したかと思いきや、時貞もまた姿を疾風が過ぎ去るように消し、次の瞬間には別な場所で爪と剣を衝突させる。
しなやかな身体を活かし、舞いを舞うように爪を繰り出す沙紀に対して、時貞は重さと鋭さを兼ね備えた剣と間合いの外を制する術で攻める。
時貞の術も、沙紀は俊敏な動きでかわしたり、爪で切り払うなどして防いでおり、彼女の爪も時貞の剣と光の盾を押し退けはしても、砕くには到らない。
そのために外見は全く無傷で、体力や気力の消耗が勝負を進めているという戦いの展開となっていた。
そして、その消耗の度合いの差がが少しずつ出始める。
沙紀の方が幾分か、息が激しくなっており、その意味を時貞が剣を突きつけると共に言い当てる。
「半妖の運命というものだな。妖魔の獰猛さを制御する為に、そちらにも力を回さざるを得ない。己の本能を解き放てば、私を倒せたものをな。それを知っていながら、敢えて負ける側を選ぶというのか?」
「負けるつもりなんて、ありません……私は、もう二度と、暴走による悲劇を繰り返させないと誓ったから……!だから、本能であなたを倒す事は許されないんです……!」
「……余りに愚かだ。最早限界だというのに」
時貞の言う通りとばかりに、制御に力を注ぎ続けた為に、段々と沙紀の転身が解けていく。
美しい猫叉としての毛は少しずつ失せていき、目元や胸を彩る紋様も消え始める。
それと入れ代わりに戦いの前に纏っていた衣が復元されていき、猫のように横に尖っていた耳も人間のものへ戻り、爪も短くなっていた。
だが、それで狼狽える気配は見せず、沙紀はゆっくりと息を吸い込み、静かにその息を吐き出すだけだ。
「……限界を、超えてみせます……!私は、今までの事で答えを見つけたから……!隠忍としてだけじゃなく、私自身としてどう生きるべきかの、答えを!」
「答え、だと?」
「私は、何度か人間達への憎しみを抱いた事がありました。自分の父を殺した存在への憎しみも、悲しみも……でも、隠忍の力は、それを乗り越えた先にあるんです!いえ、私達隠忍だけじゃあない、生きる人達が求めるものは、憎しみ、怒り、悲しみを乗り越えてこそ掴み取れます!」
転身が解除した沙紀の戦意は衰えるどころか高まっており、それ故江もオウランもじっと見守る。
自分達が手を出す必要性が無く、彼女ならば心配は無い。
2人のその思いに応えるべく、沙紀は目を閉じ、心を落ち着かせて己の内側に呼び掛けた。
「(大丈夫……私は、たとえ修羅の道を歩む事になっても、その先に皆の笑顔が、本当の幸せがあるのなら、戦うわ。人間を許せなかった外道丸、戦う事を拒んだ司狼丸、憎しみの無意味さを第一に説いてくれた義父さん、司狼丸を信じ抜いた神無ちゃん、誰かを守る為に命を懸けた伊月さん……私は、皆の本当の想いを、力にする!)」
とくん、とくんと規則正しく、落ち着いた様子で動く心臓。
その鼓動が水面で広がる波紋のように、沙紀の身体中に力を漲らせた。
「……転身!香珠月姫!!」
改めての転身だが、彼女はその刹那、己の大きな変化を目の当たりにする。
一糸纏わぬ姿になるのは以前と変わらないが、自分の周囲が光に包まれ、口と鼻の感覚が異質なものになっていく。
己の顔にピッタリと仮面が張り付いた、そんな感覚だが、呼吸も発声も問題無く行われている。
内側から解放される力も、激痛を伴うようなものではなく、破壊衝動も現れない。
その身体に、桃色と山吹色の光の帯が纏われ、軽装の鎧を形作っていく。
オウランの人間時の姿と似たような鎧の下の衣は御琴や夏芽、響華丸のものに近い形状となり、爪は手から直接ではなく、装着された篭手に伸びている。
そして耳はしっかりと上に、猫の耳として立っており、尻尾も二叉。
その変化が終わると共に光が消し飛び、沙紀は大きく変わった自身の姿に驚くも、温かな気持ちになった。
「(これが、新しい私……?皆が、力を与えてくれたんだね……)」
響華丸と同じ型のONI、それに自分はなる事が出来た。
その事実を受け入れ、改めて沙紀は時貞を見据えて構える。
彼女の力強い姿には、江もオウランも感銘せざるを得なかった。
「うはぁ~……エレオスと同じように、呪いみたいなのが解けたって訳か!」
「訓練の時からある程度気づいてはいたが、遂に到達したか。真なるONIの領域に!」
江達が沙紀の真なる姿を讃える中、時貞は半信半疑で沙紀の姿を見詰める。
「あ、有り得ぬ……!心で、己の心だけで力を引き出せるなど……否、獣としての暴走を押さえ込むのではなく、溶け込ませているなど、そんな事が……!」
「あなたにも分かるはずです。私がこの力と姿を手に出来る意味を!そして今を以て、あなたの暴走を止めます!!」
「戯言をぉっ!!」
姿が変われど、半妖である事に変わりはないとして、意気を取り戻した時貞は剣に雷を纏わせ、それで直接沙紀に斬り掛かる。
沙紀はそれを右拳の爪でガッチリと受け止め、左手に大地の力を得た気弾を作り上げ、それを時貞の胴に叩き込んだ。
「ごはぁっ!?これは、この力は……何故!?」
「「時貞様!!」」
一撃だけで大きく吹き飛ばされた時貞は受け身を取って着地するも、次には大きくよろけて片膝を突き、血反吐を吐き散らす。
それでも目の前の事実を認める訳にはいかないという意地が突き動かしたか、彼は全身の力を解放して禍々しい邪気を身に纏う。
「私はあの時、神に見放された!!炎に身を包まれる中、私の魂は最後の最後まで、炎に焼かれる身体に縛られ続けたのだ!否、民達の魂も!!その時に救ったのが尸陰だったのだ!彼女ならば、全てを救う事が……」
「その先に見えるのが、あなたやあなたを信じた人達にとっての地獄になる事だってあります!私は、その事であなた達を後悔させたくありません!たとえ尸陰があなた達の魂を救ったとしても、その先に見える未来も平和も笑顔も、見せかけです!」
立ち上がった時貞に向けて一足飛びで駆けた沙紀。
以前の転身時よりも軽く、速くなった己の身体だが、それは一秒でも早く自分の思い、信念を、心の叫びを時貞に伝える為として真っ直ぐ彼を見据える。
「蓮華浄香衝(れんげじょうこうしょう)!!」
左右の爪から溢れ出るは、大地より生まれし生命の息吹にして輝き。
それらを乗せた左右それぞれの一撃は時貞の胸元に4重の×の字を刻み、しかし出血量が抑えられた状態で彼の身体に衝撃を貫かせた。
「ぐ、ぬああぁぁぁぁっ!!!」
骨まで砕けそうな激痛、全身に行き渡る高熱に耐え切れず、時貞は絶叫と共に意識が飛ばされかけ、最後には全てを奪い尽くされたかのように両膝を突いて倒れかける。
それを沙紀は転身を解きながら抱き止め、そのままゆっくりと彼を抱き締めた。
「な……!?」
「もう、意地を張らなくても良いんです。あなたの事を、たとえ神様が理解していなくても、私は理解してみせます……だから、もう自分を、神様を責めないで下さい……」
己がかつて信じた神、その神を産んだ聖母のような温もり。
沙紀の抱擁から感じられたその温もりに、時貞はそれまで持ち続けていたはずの殺意が失せていき、憎悪も溶かされて無くなっていくのを感じていた。
彼女は、沙紀はまるで自分の母親のようだ。
その母親が、己の怒りを、憎しみを受け止めつつも、己を止めている。
そう感じる内に、自然と時貞の目から透き通った無色の涙が流れ始める。
「おお……おおおお……おお……っ!!」
若き少年ながらも、雄々しさのある嗚咽が漏れ、時貞は一粒ずつ涙を、溜める事無く沙紀の胸の中で落とす。
「この、温もりを……この慈愛を……私達は、求めていた。戦乱の果てに、私達が勝利すれば、手に入ると思っていた……だが、そうではなかった……神の名の下に敵を討ち滅ぼすのでは、なかった……そういう事だったのか、沙紀よ……」
「はい……生きる為の戦いに、綺麗事はいりません。でも、誰かを守る為の戦いに、悲しみの涙に応える為の戦いに、憎しみはあってはいけない……それを、あなたに伝えたかったんです」
「……済まぬ、沙紀……済まぬ、皆……」
「時貞様、ご自分をお責めにならないで……!」
「我等もまた、罪を犯した事に変わりはありませぬ」
主の謝罪に対して、兵士達も謝罪で返す。
それらを許したのは他ならない、沙紀だった。
「……もう、良いんです。自分の気持ちに気付いて、分かった今からでも、あなた達はやり直せます」
「沙紀……感謝する」
抱擁が解かれ、涙を拭った時貞は沙紀と見詰め合い、どちらからともなく握手をする。
これで、一つの悲しみが消えた事を、沙紀はもちろん、転身を解いた江やオウランも感じ取り、しっかりと噛み締めるのだった。

完全に戦いが終わった所で、葉樹達が合流してきたのだが、時貞達が投降した事を受け、葉樹とリョウダイ、オウランもそれを受け入れ、一時的な拘束として彼等に久遠内で待機を命じる。
時貞達もそれを受け入れ、後ろの守りを以てこの場での一つの償いとすると誓い、先に久遠の方へ向かう。
それらを見届けた所で葉樹は沙紀に微笑で声を掛けた。
「あなたの行いこそが、本来の生きる者達の理想の姿……険しいですが、それで良いのですね?」
「はい。決して投げ出したりしません!」
「……では、それをお互い、この決戦で示さなければ!」
戦いはまだ続いており、それ故に終わらせなければならない。
沙紀達はそれを胸に秘め、神殿へと駆けて行った。


ミルドと伯爵は広間の上空で、琥金丸達を見下ろしていたのだが、すぐに別な高台に着地してお互いに睨み合う。
無言のまま、両者の間で雷の矢、炎や氷の飛礫が交錯し合い、それらはどちらも相手に届く事無く相殺されていく。
「流石に、冥府でも腕を磨いていたようね。そればかりか、ONIにやられた事が屈辱だったから、ゴツゴツでデコボコして痛い枕を使って寝て、珈琲よりずっと苦い肝を舐めていたのが良く分かるわ」
「この時をずっと待っていたのだよ。人間達の時代を終わらせるという、この歴史的な瞬間をねぇ」
交錯と相殺はしばらくして静まり、カツン、カツンとどちらも間合いを保って歩き、眼力を叩き込み合う2人。
「生きている者達の時代は時の流れによって自然と終わる。世代交代という意味で。それを早める権利は誰にもありはしないわ。そんな事も気づかないで、世界の支配だの人間達の根絶やしだの、おめでたい事をまだ考えているのね、父上」
「挑発のつもりかい、ミルド。だとしたら幼稚だよ。私達がその時間を、全てを支配してしまえば、世代交代の影響も受ける事も無くなり、真に世の中を制御出来る。素晴らしいと思わないのかね?真に永遠に生きられる事が、素敵だと」
「思わないわよ、阿呆」
「!」
ミルドの、容赦無く切り捨てるような言葉は、狙い違わず伯爵の堪忍袋の緒を切り、彼に炎と雷撃を撃たせる。
その攻撃をマントでひらりと受け流しながら、ミルドは続けた。
「本当の意味で永遠に生きたとしても、最後に残るのは孤独、退屈、そして新しいものを作るという義務。孤独や退屈に身を委ねたら、真の不老不死はあっても無いのと同じよ。宝石の輝きを眺めるより、その輝きを太陽代わりにして人々に活力を与える事の方が、そうした宝石を自分の手で作る事の方がずっと面白いわ」
「……それだったら、早死しても良いのか?助けた人間の手によって殺されても良いというのかね、ミルド!」
「それも私の成るべくして成った運命。無論、そうならないように努力はしているわ。人は寿命で確実に死ぬと分かっていても、生きた証を作ろうと必死。あんたに、そういうのが出来るかしら?それともやっぱり永遠の命をお求め?」
「愚問だよ。永遠の命こそが、私の目的!尸陰はそれを約束したのさ。彼女は永遠の命を真に手に入れる方法を知り、それを今実行に移している!折角のこのチャンスを、逃せないよ!」
怒りと喜び、期待が混ざり合った笑みで伯爵は邪悪な黒紫色の光線を放ち、それをミルドは右の掌でしっかりと受け止めて霧散させる。
「……だからあんたは阿呆でおめでたいのよ。母上が聞いたら、泣いてあんたを止めようとするわ。もっとも、あんたはそんな母上の身体を遠慮無く貫くでしょうね。でも、余りに遅過ぎたわ。私が生まれる前に殺せば良かったと、これから後悔しなければならないのよ、あんたは」
光線を凌ぎ切り、減らず口を叩くミルドに、更なる怒りを露にした伯爵は遂に剣を構えた。
「後悔するのはお前の方だ。甦ったと思いきや、三世伝承院の犬に成り下がるなんて、父として恥ずかしいよ。だから、この手で処断してやる事で、父の務めを果たさせてもらうよ!」
「そんな事でしか親の権利を使えないのなら、私も親離れを完成させとかないとね。乳離れは出来ても、父の腕からはまだ離れていないみたいだし」
ミルドは落ち着いた様子で剣を抜き、胸の前で構える。
そして、先に彼女が動いて伯爵に一撃を繰り出した。
「ふっ!」
娘の剣を受け止めた伯爵は笑みと共に彼女の足元に茨を呼び起こして彼女の身体を縛ろうとする。
しかしそれを見抜いていたミルドは剣をヒラリと返してその茨を切り捨て、空いた左手を父の顔面に突きつけて雷撃を放つ。
それで伯爵は小さく仰け反ると、今度はがら空きになった胴にミルドの後ろ回し蹴りが入った。
「ええい、生意気な!」
攻撃は通っているが、有効打ではないとして伯爵は身を引き戻し、追撃に入ろうとしたミルドを頭突きで押し返す。
次には吹き飛ばされかけた彼女に横、縦、斜めの剣の連撃を繰り出して彼女をマントごと切り刻む。
それで血飛沫を上げたミルドの全身だが、その血が空中で一箇所に集まると、鋭く尖った弾丸となって伯爵の全身に叩き込まれる。
それも、ミルドが受けた傷よりも深い攻撃として。
「痛いけれど、だからどうしたってところかしら?」
調子を崩さないミルドの反撃の剣、それは弧や直線を描いて伯爵の身体を傷で覆い、最後には鋭角を描く軌跡を彼の胸に刻んだ。
それによって彼の身体からも真っ赤な血が流れ出たのだが、こちらは床を濡らして斑模様にすると、小さな魚となってミルドに飛び付き、一斉に彼女の身体に噛み付く。
「つっ……!」
「お前にはそうした無様な死に様をしてもらわないと!」
噛み付いたまま離れない血の魚に、ミルドは顔を顰めながらも自身を炎で覆ってその魚を焼き払い、一息吐く。
その様子に、殆ど表情が変わらず、精神もぶれないというミルドに、伯爵は今度は期待感を抱いていた。

「ククク、お前が泣き叫んで助けを求める姿が、醜く命乞いをして豚のように喘ぐ姿が目に浮かぶよ!」
そう口にした途端、伯爵の身体が大きく変化する。
黒紫色の邪気が全身を包んだかと思うと、伯爵は角を生やした巨大な爬虫類の化け物へと変貌する。
長い尻尾、鋭く伸びた爪、巨木やその幹を思わせる肢体。
そして、その巨体から繰り出された一撃が、ミルドの身体を紙のように吹き飛ばし、見えない壁へ叩きつけた。
「くぅっ……!言うだけの事はあって、重いわね」
「ははは、泣け!叫べ!喘げ!そして喚けぇっ!!」
まだ身動きが取れないミルドに、伯爵の拳、口からの炎、角からの雷撃が炸裂する。
それによって全身が爪で切り裂かれたようにズタズタにされ、鉄球を喰らったような激痛が彼女の内外を襲う。
その度にミルドは血を吐き散らし、僅かな呻き声を上げるのだが、攻撃が止んだ所で次に口から出たのは、小さな息遣いと僅かな血だけ。
その血の一部を唾と一緒に吐き捨て、相も変わらず己を睨みつけるミルドに、伯爵は溜息を吐く。
「減らず口、身の程知らずだねぇ。自分が置かれている状況を分かろうと、認めようとしないとは」
見たところ、満身創痍でそう素早くは動けないはず。
いや、もしかしたらその自信の源をまだ砕いていないのだろう、ならばそれを砕くまで。
そう考えた伯爵はミルドを左手で掴むと、彼女の左腕を摘み、思い切り捻り上げた。
「っ!!」
まだ足りない、だからもっと苦しめてやろう。
伯爵のその思考の下、ミルドの身体はまるで人形のように手、足の骨を折られ、捻りによって見えないものの筋を切る。
そして長い爪を深々と彼女の肩に刺すなどして痛ぶりに入っていた。
だが、それでもミルドは悲鳴を上げる事は無く、短く低い呻き声しか出さない。
そればかりか涙の一滴も流さず、攻撃が止めば自分を侮辱するかのような視線を叩き込んで来るばかりだ。
だから伯爵は、怒りを露わにして別方向の壁に彼女を叩きつける。
「何だその目は!その声は何なんだい!?これくらいの痛み、何ともないと思っているのか?!ミルド、答えよ!」
「……私の口から言わせたいようね。これくらい、他の奴らが受けた屈辱と比べれば痒いどころかこそばゆいものよ。結構動き辛いけれど……」
最後の言葉の通り、まるで重石と繋がれた枷を手足に嵌められたかのように、鈍重な動きで身を起こすミルド。
その赤の目は虚ろではなく、紅玉の如き輝きを絶やさないでいた。
「あんたのその力は確かに強いわね。腕っ節なら。でも、そんなもので私を倒そうなんて、幾億年経とうと無理な話よ。断言するわ」
「ふん、ズタズタでボロ切れも同然なその身体で、何が出来る?」
「これが出来る、と言えば良いのかしら?」
即答と共にミルドは自身を妖怪としての姿へと変える。
その過程で折れた全身の骨は元通りとなり、体力も完全にとまでは行かないまでも、十分に戻っており、伯爵も眉を顰める。
「!まだ戦えるというのか!?」
「生憎と、生きる事には絶望していないんでね。母上の最期を看取ったから、尚更よ。最期を看取らず、簡単に捨てたあんたには、分からないわよね。この私の身体から湧き上がって来る、炎よりも熱いものを……!」
ミルドは此処で初めて顔を険しく、怒号を吐きそうな形相にした。
それと共に瞬時に羽ばたいて伯爵の顔面に右拳を突き刺す。
「ぐっ!?な、何だってぇっ!?」
突然の出来事に戸惑った伯爵だが、そこへミルドの爪、拳、蹴り、翼が連続で胸元や首、顔面、角に入っていく。
「くく……お、お前も所詮は感情に生きる存在!怒りで力を高めたとしても、それによる暴走には抗えないよ!」
角に亀裂が小さく入り、攻撃の入った所に青紫色の血が滲み出るのだが、怒りで引き攣った笑みで伯爵はそう嘲る。
対するミルドは涼しげな表情を戻し、父が繰り出す攻撃の数々を腕と翼で防いで行く。
猛攻で翼が悲鳴を上げて傷つき、腕も傷と血で赤く染まるが、攻撃が止んだ所で彼女の翼が槍の如く伸びて伯爵の右手を刺し貫いた。
「ええい、鬱陶しいよ!」
逆に翼を握り潰しに入った伯爵だが、そこを狙っていたミルドが左手から冷気の波動を叩き込み、翼を戻す勢いを利用して右手から氷柱を無数飛ばす。
それらは伯爵の右手を氷漬けにした上で砕き、続けての追撃をと彼女が動こうとする。
しかし伯爵は不敵な笑みと共に尻尾を突き出して彼女を瞬時に絡め取り、まるで十字架の磔のように彼女を固定する。
「あの女と同じ最期を遂げるんだね!」
尻尾から燃え上がった炎はミルドの全身を焼き始め、先端が彼女の心臓目掛けて突き出される。
だが、その尻尾は彼女の左胸に突き刺さりはしたものの、ほんの少ししか入っておらず、そこから先へ進む事が無くなった。
「!?な、何故だい!?こんな風に死んだあの女の事が忘れられないのだろう?こうしてあの女は死んだはず!」
炎に焼かれても表情を変えないミルドは、父の問いに炎を、尻尾の拘束を破りながら答える。
「忘れられないから、生きるのよ。私は、人間の母上と妖怪のあんたの間に生まれた、あいつらと同じ隠忍!人間でも妖怪でもない、そう考えている奴等が多い世の中だからこそ、私は決めたわ」
残り火はミルドの身体に光の粒子となって纏われ、それが彼女の傷を癒すと共に鎧を造り上げる。
琥金丸のものとは違い、朱羅丸の方に近い方の、それでいて動きやすい鎧。
朱羅丸が目にすれば、見覚えあると言っても良いであろうその変化はミルドが昨日の特訓の成果で生まれたもの。
手足と胸を青紫色の毛皮が覆い、青緑色の肌は適度に鍛え上げられた筋肉を見せ、そして瞳孔は無くなったものの、真っ直ぐな赤の目は輝きが強まっている。
「この世の中の、来世の中で、私達隠忍が、人間でもあり妖怪でもある、即ち世界の一員である事を示し、貫き、伝える事をね!そうする為にも生きるって気持ちこそが、私の力として湧いて来ている!」
「馬鹿な!そんな夢物語、その命ごと潰してくれるよ!」
伯爵は使い物にならなくなった尻尾を自分から切り落とし、砕けた右手を変化させ、鋭い牙の生えた髑髏としてミルドに噛み付かせる。
ミルドは焦げ痕を消し飛ばした翼を大きく羽ばたかせると、その髑髏の口の中に飛び込み、内側からそれを破壊する。
そこから続けて両手より雷光を放って父の角を砕き、最後には右手から伸びる爪を真っ直ぐにして彼の胸へと向かう。
「終わりよ、父上!」
言葉を放った一瞬だった。
ミルドが巨大な悪魔と化した父の左胸を、心臓ごと貫き、返り血で真っ赤になった状態で姿を見せたのは。
最初、伯爵は何が自分の身に起きたのか分からなかった。
一瞬の痛み、自身の身体には有り得なかった、左胸辺りの異様な温かさ。
その意味を理解したのは、己の左胸に開いた穴を見た時であったが、全てが遅かった。
「こ、こんな馬鹿な……!ミルド……お前は、不純で……良いのか?蔑まされても、良いのか?」
「良いに決まってるわ。汚れの無い世界で、命は生きてはいけない。汚れを受け入れずして、生命は強くなれない。だから、生き物は他の存在を食い、人は誰かを殺し、そして生き続けるの。覚悟を、汚れを、侮辱を受ける覚悟を決めた上でね」
「だから……あの女は、死んだと……言うのか?そして、お前はそれを憎まず、あくまで半妖として、架かるはずのない橋を、掛けようというのか……!?」
己の最期が近づく中、全てを知りたいという欲求が伯爵を動かす。
だから、思い残させないよう、ミルドは丁寧に話した。
「らしく生きて、それが母上の遺言だった。あんたもあんたなりの『らしさ』はあった。けど、それは結局母上を悲しませるものでしかなかった。私を愛してくれた母上は、あんたを憎むというより、むしろ案じていたのよ。だから、私に全部託した……」
「私が、捨てたというのに……うっ!?」
「ボロ、もとい本音が出たわね……今、あんたは全部の罪を認めた。だからこれ以上あんたを責め苛む理由も無くなった。結局、私が生まれたのは必然的だった。あんたと母上が愛し合ったその時から、私が生まれる事は決まっていたのよ」
「あ……ああ……我が、妻よぉ……」
化け物から、吸血鬼としての姿に戻った伯爵は、左胸を血に染めながら号泣した。
彼にとって、それが生まれて初めてのものであり、そして最後のものだった。
それを理解するや否や、伯爵の身体は砂となって消え失せ始め、ミルドは父のその緩やかな最後を看取りながら呟く。
「もう、あんたの侵略は、復讐はおしまいよ。此処から先は私に任せて、あんたは母上の所に行ってて。帰りをずっと、待っているんだから……ふ」
最後に思わず漏れた笑いは、転身を解いた己の目に流れる、一筋の涙に対してのもの。
それは自嘲というより、感銘であった。
琥金丸や伽羅達のような、甘ったれになれない自分でも涙が流れるものであり、それこそは人間の心を持っている証拠であると気づいたから。
しかし今は一筋だけという気持ちがあったのだろう、ミルドがそれを拭うと、再び涙が目からこぼれ落ちたるする気配は無くなった。


琥金丸と伽羅はそれぞれの相手と、付かず離れずの状態で攻防を繰り広げていた。
それも横に並んでの戦い等ではなく、琥金丸がバシリスクと徒手での殴り合いを繰り広げ、それが障害物になるかのように、伽羅がコカトリスとの射撃戦を行うというもの。
一箇所に留まらずに、少しずつ位置を変えての攻防を行う琥金丸は、バシリスクの鋭い爪をかわしつつ、漆黒の手甲で彼を打ち、雷撃を伴った蹴りをその胴に浴びせる。
バシリスクも両手がまるで阿修羅か千手観音のように無数に増えた状態で殴りかかっており、攻撃を喰らっても踏ん張って耐え、尻尾で琥金丸の身体を打ち据えては頭突きを叩き込み、爪と拳で押し切ろうとしている。
「ただのトカゲじゃねえのは分かってたが、負けないぜ!」
「トカゲっつうより、蛇の王様よぉっ!」
素早さに勝るバシリスクの爪は確実に琥金丸の纏う鬼神の装甲を切り裂くのだが、琥金丸の空気を切り裂く拳もまた、バシリスクの鱗が役に立たないかのように打撃の衝撃を浸透させ、追撃の手を一瞬だけ鈍らせる。
2人のその互角としか言えない打ち合いは、遠くから飛んで来る攻撃を時には受け、時には弾いていく。
その様を見つつ、伽羅は弓の連射でコカトリスの羽根の矢を撃ち落とし、彼女の眼球目掛けて鋭い矢を放つ。
時折琥金丸の援護も、と思ってバシリスクに射撃を行っていたのだが、彼の尻尾に弾き落とされ続けている事と、琥金丸がチラリと見せる、手出し無用という目信号を受け、狙いをコカトリス一点に定めていた。
「あたしのこの弓で死んでも、恨んじゃダメよぉっ!」
狙いが一つとなれば、やり方は大いに広がり、自由に動ける。
流れ弾となった矢もコカトリスの攻撃も、きっと琥金丸ならば軽く弾くと信じて、伽羅は琥金丸とバシリスク越しにコカトリスへ射撃を行う。
「背中を預かりながらの戦い、暗黙で受け入れてくれるなんて良いわね、お嬢ちゃん!」
「お姉さんだって、あたし達より数十年早く仕上がった感がありますよ!」
軽口と共に射撃が相殺され、ならばと両者は術を使いに入る。
伽羅は雷の法術を使うのに対し、コカトリスは岩の飛礫と飛ばす術で応えた。
岩の飛礫は雷で粉々になったのだが、その砕けた欠片が雷を分散させ、無力化させる。
その欠片は伽羅の矢で完全に砕け散り、コカトリスの身体を掠めて羽毛を吹き飛ばす。
しかしその射撃に合わせる形でコカトリスも羽根の矢を放ち、伽羅の左肩を小さく切った。
それによって毒が流し込まれるかに思えたが、伽羅は早口で術を唱えると、傷口部分に解毒の術を掛けて毒を取り除く。
そうした射撃戦に挟まれる中、琥金丸もバシリスクも拳を打ち合いながら言葉も交わす。
「最初会った時は弱そうだと思ったが、撤回するぜ。今のお前こそ、俺の一番の好敵手だ!」
「正直お前等に感謝してるのさ。特にミルドとジャドは、俺が一番向き合うべき問題を片付ける切っ掛けをくれた。それをフイにしてたまるかっての!」
「それに合わせて、あの伽羅って女も良い腕しやがるぜ。この短い間に色々あったって事にしとくが、怨みっこ無しな勝負にしようぜぇっ!」
「(こいつ、そういう事か!)」
バシリスクの言っている事が事実ならば、目的は明確。
無論、そこに乗っ取った対策は限られており、それを実行するまでとして琥金丸は攻撃の手を強め、手数を増やしていった。

「「それぇっ!!」」
同時に飛翔し、各々の相方の頭上で接近戦に持ち込んだ伽羅とコカトリス。
伽羅は弓の使い手ではあるが接近戦が不得手だとは誰も言っていない。
だからコカトリスは侮る事無く爪と翼で彼女に先手の攻撃を浴びせる。
それを伽羅は弓で受け流し、矢を剣の代わりとしてコカトリスに切りかかった。
「あら、やるわねぇっ!」
「ミルドさんに鍛えられたんだもの!お姉さんに負けてられない!」
「二度もお姉さんだなんて、私はそんな歳じゃあないわ、よ!」
伽羅の矢を翼で弾き、嘴で彼女の胸元を刺し貫こうとするコカトリス。
その嘴を寸での所でかわした伽羅は捻りからの膝蹴りをコカトリスの喉に突き刺し、そこを軸として回し蹴り、飛ばしたところで雷撃、最後には矢を連射してコカトリスの身体をハリネズミに近い状態に持ち込む。
しかし、最後の一矢とばかりに弓を引き絞った伽羅は、肩に激痛を覚え、空中で回転しながらその場を離れる。
琥金丸とバシリスクの戦いを阻まない場所に降り立った伽羅はそこで自分の身に起きた異常を知る。
コカトリスは先程の自分の回避の後、目にも映りすらしない速さで嘴の突きを放っていたのだ。
「……伊達じゃあないわね、十二邪王も」
琥金丸とバシリスクが一旦離れて間合いの取り合いに入った所で、少女と女妖怪の会話が交わされる。
「うふふ、実力は2人合わせて十二邪王一人分、と言いたいところだけれど、鍛えていたのは私達夫婦も同じ。でもあなたもあなたね。そんな私と一人で渡り合えるのが、とても面白いわ」
「あなたと戦ってると、何だろう、怖くないって感じがする。普通に、妖怪と戦っている感じがして、でも胸の中であんまり痛みを感じない……むしろ、スッキリするような気がする」
「ホホホホ、それは良いね。あまり難しく考える必要は無い。自由に戦う、自分なりの規律を作った上で妖怪らしく振舞う。あるいは人間と仲良くする事を選ぶのが、本来の妖怪の生き方じゃなくて?」
伽羅だけでなく、琥金丸も不思議と清々しい気持ちになっていた。
理由は既に分かっているが、念入りとばかりにバシリスクが答えを出す。
「言葉通りなのさ。俺達は誰よりも強くなる事だけが目的。メデューサ達を負かしたお前達ONIと戦える機会、それが石化の呪い使いとしての、プライドみたいなもんさ。アビス都督も自由に生きる事を考えているから、お前達の中でそれを受け入れて相応の事をしているだろうよ。清盛や時貞、ジャド、伯爵殿みてえに復讐とかを考えるのも、大魔縁のように妖怪だけの時代を作ろうとするのも、久秀みてえに滅びを望んだりするのも、尸陰みてえに訳分からねえ事を考えるのも勝手。だから俺達夫婦はそうしたものに囚われず、自分の成すべき事を成すだけさ!」
「拾ってくれた事に、感謝はしてるんだろ?一応は」
「まあな。だから相応の返礼をしてから次の事をするまで。思いっ切りお前等とやり合うっていうのが拾った尸陰への恩返しってヤツさ!」
使命感には囚われない。
時には技を磨き合うも、生きる者達の運命であり、先輩達もそうしてきたのだろう。
そう考えた琥金丸は身体の奥底から力が湧いて来るのを感じ、しっかりとそれを使いこなすべしと身構える。
バシリスクも不敵な笑みを消して真面目な表情になり、突進の構えに入る。
「琥金丸、良い顔になってるわ……だから、あたしもウジウジを引っ込ませる!」
前の夜における抱き合いの後も、伽羅は琥金丸と二度と会えないかもしれないという不安を消せなかった。
しかし今はそれを考える必要性は無く、ただひたすら、自身の最善を尽くすだけとして、力強く弓を引き絞る。
「決めましょ。忙しいのはお互い様という事だから」
コカトリスの提案に従い、4人は睨み合いから、何時でも飛び出せる状態となる。
琥金丸は右拳に力を集中させ、伽羅は番えた矢に術の力を込める。
バシリスクも両手の爪を毒で染め上げ、コカトリスは嘴を鋭くさせて思い切り身を反らす。
他の戦いの音が鳴る中、合図抜きで4人は各々の相手に向けて瞬時に攻撃を行なった。
琥金丸とバシリスクはそれぞれ拳と爪を突き出し、伽羅は床を蹴って駆けながら矢を放とうとして、コカトリスが疾駆と共に嘴を突き出す。
刹那、2つの閃光が何かの砕ける音と共に走り、双方の組は互いに擦れ違い合って相手を見る。
琥金丸は胸に深く、バシリスクの爪を受けて息切れしており、伽羅は衣が破けて露になった右肩も血で赤く染まっている。
そして……

「へへ、流石は伯爵殿と、サナト・クマラって奴を倒しただけの事は、あるぜぇっ……!ぶはっ!」
胸にポッカリと穴が開いて、そこから血が流れ出ていたバシリスクは口からも血を吐き出して前のめりに倒れかける。
「あんたぁ。これで、あの世のあいつらか、この世の同族達に、自慢出来るねぇ……ぎっ……」
嘴が砕け散り、口から腰に掛けて矢で貫かれていたコカトリスも血に塗れた口をニヤリと笑みで歪ませ、夫に寄り掛かる。
琥金丸と伽羅の勝利は、誰の目から見ても明らかだった。
その2人が、敗れた夫婦に駆け寄ろうとするが、バシリスクもコカトリスも何とか身を起こし、バシリスクが妻の口から矢を引き抜き、それを伽羅に投げ返す。
「!バシリスクさん、コカトリスさん……」
矢を受け取った伽羅に、そして琥金丸に対して夫婦二人は息切れをしながらゆっくりと上へ昇り始める。
昇天ではなく、ただ単に空を飛ぶというものだ。
「こういうのは、一度で終わらせたくねぇなぁ……また、どっかで一勝負したいぜ」
「本当、気分がスッキリしたわぁ……」
上昇するたびに血が一滴ずつ落ちるその状態では、行き着く先はあの世。
それが居た堪れないと感じて、琥金丸は癒やしの気を2人に向けて飛ばし、傷口を癒した。
「……だったら、今日は帰りな。また何時でも、何度でも相手になってやるぜ。関係無い村人達を巻き込もうものなら、容赦しないけどな」
「琥金丸……!」
やっぱり琥金丸は優しく、強い。
そんな彼に惚れた自分が嬉しく思えた伽羅は思わず頬を染めて彼に抱きつき、バシリスクとコカトリスも、元気になった身体で上昇速度を早める。
「楽しかったぜ、琥金丸!伽羅!またな!!」
「折角私達を負かした上で此処までやったのよ。これからの戦いで無様な最期を飾らないようにね!」
そう言いながら、清々しい気持ちで夫婦は去って行った。
「……これで、良かったんだよね?」
「ああ。隠忍は、悪い妖怪を諌める為にいるんだ。敵をブッ潰すだけだったら、そりゃ悪い妖怪と同じ。今になって分かったぜ。常葉丸の言ってた事が」
転身を解いて、バシリスクとコカトリスを見送っていた琥金丸は過去を思い起こし、伽羅と微笑み合う。
しばらくして2人は、他の方面へ回ろうと動いた。


エレオスと大魔縁は戦闘開始の地点からさほど変わらない場所で、そしてその下では音鬼丸とメイアがジャドと今も戦っていた。
錫杖の雷光で牽制し、接近すれば錫杖と左手で直接切り裂こうとする大魔縁に対し、エレオスは荒々しい拳で雷光を砕くように防ぎ、拳の風圧で大魔縁の繰り出す突きを受け流していく。
そして間合いに入った所で両者は連打の打ち合いに入るのだが、エレオスは狂喜にも似た笑顔に、大魔縁は歯軋りの聞こえそうな怒りの形相になっている。
拳の威力も、錫杖と左手からの衝撃波の破壊力も互角で、どちらかの勢いが負けるという気配も無い。
いや、どちらかと言えば吹っ切れていたエレオスの方が攻撃の精度が上がっており、振り上げた大きな左の蹴りが錫杖を弾き、返す勢いで鉄鎚の如く下ろされた踵落としが大魔縁の右肩に突き刺さった。
「ぐぬっ!!これが、失われし文明の……!だが、何故だ!?」
「それ、悪と破壊に生きる奴のする問答かしら、ねぇっ!!」
踵落としを喰らっても踏ん張って落下を防いでいる大魔縁に、エレオスの次の一撃として右の正拳が突き刺さり、数歩分突き飛ばす。
そこから更なる追撃に入りたかったのだが、大魔縁もただ攻撃を受け続けていた訳ではなかったようで、手から離れていた錫杖が胴にある程度突き刺さっており、体内に電流が駆け巡って足を止めざるを得なくなる。
「ちっ!そうでないとねぇっ!」
突き刺さった錫杖を引き抜いて大魔縁に投げ返すエレオスは胴から流れる青白い血を掬い取ってそのまま握り潰すように擦る。
彼女の傷口は少しずつ塞がっており、大魔縁も勢いを取り戻して電撃と疾風の刃を浴びせていく。
その雨霰の攻撃は避けきれなかったか、エレオスの身も、それを纏う鎧も無数の傷に刻まれ、青白の血の斑模様が見え始めた。
「出し惜しみ無しの全力、これは天地丸達でも骨どころか心が折れそうねぇ。おかげさまで、あたしも気合が入るもんだわ!」
「もう一度訊こう!お前も妖魔の、妖怪の血を引いているのであれば、人間達に同胞を傷つけられているのなら、人間達を支配するか滅ぼすが道理のはず!それが何故、人間共に肩入れする!?答えよ、エレオス!」
攻撃を受け続けている身ながら余裕を保っていたエレオスは身体の調子が好調であると確かめつつ、大魔縁の問いに答える。
「人間、妖魔、妖怪、そりゃあ誰かが勝手に、姿かたちとかの理由を付けたただの名前よ。同じ命である以上、何処かで必ず共通点が出る。自分達も何処かで誰かを虐げている、そうした連鎖の先が滅びだと知った時、あたしはこう思ったのよ。後腐れ無くしたら、もう全部やめちまおうってね!」
「それが理由か!同じ星の下で生まれながら、お父上も大いに嘆かれる事であろう!」
「あんたも父者に気に入られてたから、そういうのを口に出来るのは分かる。妲己も父者の忠臣の子だったから、皆揃って星の支配とか自分達の新天地を築こうとか言える訳だ。でもさ、どんどん住処を滅ぼす生き方って、馬鹿げてると思うのよ」
「何だと!」
怒りと共に振るわれた大魔縁の錫杖を、エレオスは拳で受け止めて続ける。
「一旦コテンパンにされてみな。自分達がやって来た事がどれだけ馬鹿げてるのか、どうしてあいつらが勝つ事が出来たのかが分かるはずよ。父者は頑固者だから死んでも理解したくないでしょうけれど、あたしは理解してしまった!理解した以上は引き返せないのよ!」
弾かれた拳と錫杖は今一度とばかりに突き出されるが、打ち勝ったのは拳の方で、錫杖はまたしても弾かれた。
それでも左手と翼が残っており、それらによる怒涛の攻撃がエレオスの追撃の手を止め、その身を血で染め始める。
「良かろう!ならばお父上に成り代わり、この私がお前に引導を渡してくれる!あの世でお父上に詫びよ!」
「詫びないわよ……あたしが詫びるとしたら……あたしが弄んで来た連中に対してよ!」
焼き焦がされ、切り裂かれる己の身の悲鳴を押し殺さんばかりに耐えるエレオスは気合で大魔縁の攻撃を吹き飛ばし、広げた両手から闘気の塊を飛ばして彼の全身を打ち据える。
「何処までも人間を信じるか!腐り切ったか!」
「腐る前に、とっくにその部分を取り除いた身さ!」
消耗の気配が見られない両者は防御を捨てた攻撃に入り、その間で赤と青の血飛沫が花となって乱れ飛ぶ。
その花は散り散りになって雨となり、真下で戦っていた音鬼丸達とその床を濡らし始めていた。
そして数分の殴り合いは、エレオスが右拳で大魔縁の錫杖ごとその身体を貫いた事で終わる。
「業を背負う……そんな事で……許されるはず……が……」
大魔縁はそう呻いて血反吐を吐くと、そのままグッタリとなり、全身が砂となって崩れ落ちる。
その存在が跡形も無く消えた所で、エレオスは血みどろになった己の身体を見渡し、傷を見詰めていたのだが、その瞳は琥珀色の輝きを放っていた。
「許される為の戦いじゃあないわ。単に、納得する為に戦う。あたしは、それだけの為に今日を、明日を生きるのよ」
前向きで、迷わない、それが自分だ。
エレオスはそう己に言い聞かせ、自身の回復を始めた。

「(エレ……!)」
まだ血の雨が降る前、戦いつつエレオスと大魔縁の話を聞いていたメイアは、音鬼丸に負けない勢いでジャドに攻撃を仕掛けていた。
そのジャドは化け物の腕を少し細めにしており、それ以外は普通のONIと変わらない姿に転身していた。
「再現しようと思ってたけれど、やっぱりクローン体、上手く行かなかったよ。もっとも、動きやすくなったけどね!」
以前は巨大で醜悪な化け物、しかし今ではメイアより少し背の高い鬼神の少年となっているジャド。
攻撃も殴りかかる、手甲から伸びる爪で切り裂く、そして気弾と光の盾だけだが、その分それぞれの力が高まっている。
音鬼丸の拳を以てしても、一発では盾は砕けず、速さも互角以上だ。
「御琴と響華丸を苦しめ続けた程の強さは無いけど、それ以外の強さが光っているという事か!」
「そ。でも安心して。僕は男を苛めるのは趣味じゃないんだ。普通に、殺すよ」
音鬼丸に対してそう微笑みかけたジャドの爪が音鬼丸の肩を掠め、横から刃を突き出して来たメイアには気弾で左右から挟み撃ちに持ち込み、蹴りを彼女の腹部に叩き込む。
「くはっ……づぅっ!!」
苦悶の息を漏らしたメイアに、ジャドの左手が鞭のようにしなって打ち込んでいく。
すぐには殺さず、痛みで相手を泣かせてから殺すのがジャドのやり方。
それを見過ごせない音鬼丸は再び彼に殴りかかるも、ジャドはメイアに左手の連打を続けたまま、右手で音鬼丸の攻撃を受け流していく。
「ははは、気分はどう?助けたくても助けられないってのは?男として歯痒いっしょ?」
「ああ、歯痒いよ。だから、絶対に通す!」
敢えて挑発に乗る振りをしながら音鬼丸は左右の拳だけでなく、足刀も絡めてジャドに猛攻を仕掛ける。
それらを防ぎながら、ジャドはメイアを痛めつけ続けようとしたが、不意に左手が何かに掴まれて動かなくなるのに気付いてそちらを向くと、メイアの右膝が目の前に飛び込んで来た。
「ぐあっ!!」
思い切り突き刺さった右膝は一時的にジャドの視界を奪い、メイアは頭上を取りながら彼に針の雨を撃ち込む。
巻き添えを避けるべく音鬼丸が下がり、射撃を数秒続けた所で彼女はすぐさま高度を高くして距離を取る。
しかしジャドは大きく跳ねると、すぐさまメイアの右足を掴み、思い切り床に叩きつけ、助けに向かおうとした音鬼丸を光弾で止めながらメイアの右足を極めに入った。
「うぅぅっ……!あぐぅっ!」
「良い声で泣いてよ~?」
かつてのようにメイアを甚振れば、そう考えてのジャドの関節技を前に、音鬼丸は光弾を物ともせず突撃して体当たりを繰り出す。
「くっ……ちょっと邪魔されると、ムッと来るなぁ」
体当たりでメイアから離れてしまったジャドは笑みが消えて怒りの視線を音鬼丸に向ける。
音鬼丸も次の出方を見ていたが、立ち上がったメイアがジャドに目を向けながら音鬼丸を制した。
「……ごめんね、音鬼丸。やっぱり、私一人でジャドと決着をつけたいの」
「メイア……最悪の事態になりそうだったら、止めても助けるよ」
「うん……」
音鬼丸は構えを解いて一歩下がると、メイアはすぐさまジャドに左の鋏を突き出し、ジャドも右の爪でそれを防ぐ。
「僕を改心させようというのなら、それは甘いって言っておくね。僕は元々こんな性格だからさ!」
「だからこそ、私だけで勝たなきゃダメなの!」
メイアの右の刃が無数に増えて突き出され、肩からの副腕が刃と共にジャドに向けて振るわれる。
ジャドはそれらも受け流し、左手を鞭に変化させてメイアを絡め取ろうとするが、攻撃の弾幕は分厚く、なかなかそのチャンスが掴めない。
だが、それは普通の思考を持っていればの話であり、ジャドは隙を見つけて攻撃に入っていた。
メイアの、間合いを詰めるべく前に出ていた左足だ。
「っ!?」
左足を抑え込まれて体勢を崩したメイアに、ジャドの怒涛の連撃が入る。
鞭で全身を打ち、爪で装甲を剥ぎ取りながら手足を切り裂き、光弾で前後左右を撃つ。
そうした攻撃を受けてメイアはもんどり打って倒れるが、転身が解ける気配は無く、ゆっくりと立ち上がろうとするも、ジャドはそれを許さない。
俯せ状態の彼女の背中に乗っかると、首筋ではなく羅士の衣の方に手を掛けた。
「おっとぉ~!僕の楽しみはこれからだ!分かるよねぇ?あ、音鬼丸。どうする?目を背ける?それとも助けちゃう?助けようとしたら、分・か・る・よ・ねぇ?」
「ぐっ……!」
目を背ける事は、メイアを見捨てる事と同義であり、助けようとすればメイアの精神が衣と共にズタズタにされる。
何故先程ジャドが爪で装甲だけを剥ぎ取っていたのか、その答えがこれだった。
此処で助けにいかなければと、動こうとした音鬼丸だが、メイアは身を起こそうとしてこう言った。
「音鬼丸、手を出しちゃダメ!ジャド、やってみて。私を辱めるっていうのがあなたの望みなら、私はそれでも構わない。その代わり、絶対にあなたを倒す!服が破けた瞬間に、一刺しで終わらせるわ!」
「「!??」」
音鬼丸は当然の事だが、一番に驚いたのはジャドだった。
苛めを止めて欲しいと懇願していたメイアが、早撃ち勝負に自ら申し込んでいる。
以前では考えられなかった事に思えたが、すぐにジャドも合点が行ってニヤリと笑う。
「そう……御琴も良いお友達を持ったねぇ。つまり、未来の為に僕の奴隷になってくれるって訳か。じゃあ、望み通りに!!」
衣を掴んでいた左手に思い切り力を込め、ジャドは衣の引き剥がしを決行する。
それによって衣服が引き裂かれる音が聞こえたのだが、同時に刃物が刺さる音が複数回響いた。
「ぐっ……どう、してだ……?」
メイアの右の刃が瞬時に煌めいてジャドの右肩を刺し貫き、左手の鋏が彼の左脇腹を切り裂く。
衣は肩の部分だけが引きちぎられており、メイアは次に頭突きでジャドの顎を打って彼を退かすと、すぐに立ち上がってジャドを睨んだ。
「もう、一人じゃないって分かってたから。苛めを受けても、私に耐える勇気をくれた御琴やオウラン、リョウダイ様や分かってくれたエレの為にも、私は頑張れる!」
ジャドは傷口を気で癒すと、怒りの形相で睨み返すのだが、メイアの視線は少し緩んでいた。
「ジャド、苛める事でしか自分を強く出来ないのなら、そうしなくても良いって事を教えるまで!だから、負けない!」
「ふざけるんじゃない!お前に僕の何が分かる!?何時もエレオスに先を越された僕の気持ちが、螢ってチビに良い気分をぶち壊された僕の怒りが、尸陰に良いようにされていた僕の悔しさが、全部分かるっていうのか!?」
「分かりたいの!そして、これ以上ジャドを間違えたままには出来ない!だから、私は勝つ!どんなに痛い目に合わされても、負けられない!」
「黙れ黙れ黙れぇぇっ!!」
右手の爪、左手の鞭、そして光弾がメイアの全身を打ち、その身に纏う装甲を引き剥がす。
最後に左手で彼女の首を掴んだジャドは、ズタズタの衣から見えている肌を見ていたのだが、先程の楽しみが失せてしまっていた。
あるのは、虚無感だけ。
「(何なんだ……?僕は、何をしている?メイアを傷つけて、痛めつけて、それから殺すんじゃなかったのか?泣かせる事が出来ないから、戸惑っているのか?)」
ジャドが全く動かない中、音鬼丸はハッキリとメイアの声を聞いて、それ故に踏み止まっていた。
自分は負けないから、心配しないでという声を、信じて。


「ぐっ……泣けよ!喚けよ!命乞いしろよぉっ!!」
焦れたジャドは思い切りメイアを叩きつけるが、メイアは小さな呻き声だけを出し、歯を食い縛って痛みに耐えている。
「くそっ!くそくそぉっ!!」
装甲が砕けて振り乱された髪を引っ張り、足で背中を、顔を踏みつけ、残っている衣をビリリと破いて背中を叩く。
ジャドがそれをやっていても、メイアは悲鳴も泣き声も上げなかった。
逆に、ジャドが泣き声を上げ始めていたのだ。
「泣けよ!泣いてよ!!お願いだから、泣いてくれよぉぉっ!!」
全く応えない事で、楽しみが無くなっていく。
面白いものが消えてなくなる事が、物凄く怖い。
それが、彼の涙となって表に出ていたのだ。
「メイアぁっ!黙ってないで何とか言ってよぉっ!泣いて!誰か、泣いてよおぉぉっ!!」
何時しか、メイアを打つ手は止まり、転身が解けたジャドは泣き続けて蹲っていた。
「……気が済んだ?それとも、まだ?」
動けるようになったメイアは転身を解いてジャドに近づき、抱き締める。
これで解決した、そう音鬼丸が思った矢先だった。
ジャドの泣き顔が突如、邪悪な笑みに変わり、右腕だけが転身してメイアを背中から貫こうとする。
それに一早く気づいた音鬼丸はすぐに止めようと動くが、そこへ既に戦いを終えていたエレオスとミルドが手で阻む。
何故、と問う必要は無かった。
ジャドの右手は、メイアの背中にほんのわずかしか突き刺さらなかったからだ。
「……まだなら、気の済むまでで良いよ、ジャド。あ、ごめんね。泣かないとダメなんだよね?じゃ……」
一筋、また一筋と涙が流れ落ちる。
溜めていたものを、丁寧に落とすメイア。
その姿に、ジャドは達成感ではなく、敗北感を覚えた。
「メイア……どうして?」
ミシミシと音を立てて、ジャドは自分の心が軋むのを感じる。
「ジャドと、本当の意味でお友達になりたい……ダメかな?ちゃんと償いをすれば、きっとまた一緒に笑い合えるよ?」
「……僕を、許してくれるの?」
「うん……!」
笑顔で頷くメイアは、まだ目から涙を零しているのだが、それを目の当たりにした途端、ジャドは心の何もかもがボッキリとへし折れる音を聞いた。
誰でも無い、自分自身の心が、まるで巨木が切り倒されるかのように……
それを理解して数秒後、ジャドはメイアから、そして後から駆けつけて来た琥金丸達から遠く離れると、右手をそのまま振り上げる。
「ジャド……もう、戻れないの?手遅れ、なの?」
「……ごめん、メイア、エレオス……僕は2人以上にやり過ぎた。楽しみの為だけに、沢山苦しめて来たんだ」
「……考え直しても良いわよ、兄者。あたしはあんたの判断に任せるけど、自分が取った行動でどんな反応が来るのか、よ~く考える事ね」
メイアもエレオスも止める事はしない。
琥金丸達も3人の間に入れるような状況ではないとしており、唯一伽羅だけが止めようと一歩前に出ていた。
「……ジャドさん……あたしを蘇らせてくれたのに、そのあなたが死ぬなんて……」
「その方が良い時もある。来世で生まれ変わったら、その時こそは……絶対に、メイア達と友達になってみせるよ……だから、ごめん」
もう、そこには残虐非道なジャドの姿は無く、あるのは無邪気で人懐っこく、温厚な少年ジャドの笑顔だった。
「こんな僕を、最後まで友達と言ってくれて、涙で見送ってくれて、ありがとう。ミルドも、僕を蘇らせて、出来る限りの落とし前を付けるチャンスをくれて、ありがとう」
「尸陰に言う事ね。もっとも、彼女の事だから今のあんたを、軽蔑したりするでしょうけれども」
ミルドと、エレオスは全く動じる気配は無いが、ジャドの覚悟を受け止めるべしとして見届けに入る。
メイアも此処までは止められないと諦めていたのか、これ以上進む事は出来なかった。
「ジャド、私も、ごめんなさい……」
「良いんだ。僕はもう、この現世での全部を終わらせなきゃ……じゃあ、さよなら、なんて言わない。来世で、また会おう。他の皆にも伝えて。僕は、現世の罪を償ったら来世できっと戻って来るって事を……じゃあ」
その一瞬で、ジャドは己の首を掻き切り、血飛沫を上げて倒れる。
すると、その肉体は砂のように崩れ落ち、風と共に消えて行った。
「……またね、ジャド……」
涙を流すメイア、その肩を優しくエレオスは掴む。
その目に一筋だけ涙を流して。
「……今度は真っ当な奴になって来い。あたしも、王女に恥じないONIになる……!」
そして、伽羅は琥金丸とミルドに抱かれながら静かに泣いていた。
自分をたとえ人形として扱っていたとしても、琥金丸に会わせる機会を与えてくれた事は事実。
その恩を返したかったのが、本音だった。

この後、葉樹達が下りて来てジャドの事を知ったのだが、誰もが驚きを隠せず、そして涙を流す者は躊躇わず涙を流していた。
悪になりきれそうでなりきれなかった、そして罪に報いる形で自害したジャド。
その悲しみの中で、メイアが一番に声を掛けていた。
「さ、行こう!今は泣いている場合じゃないはずよ」
一番に傷ついていたであろうメイアの仕切りに、エレオスもその通りとばかりに周囲に活入れの平手を一発ずつ浴びせる。
「メイアの望みである、ジャドの改心は達せられた。あいつが無事に来世で生きていけるように、あたし達が頑張るんだよ!」
一人、また一人と涙を拭い、前を見据える。
残るは尸陰と覇天、そして金剛。
今度は司狼丸を、絶対に助けなければならない。
その気持ちが特に強かった沙紀が先頭に立ち、一行は最深部へと駆け出した。



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あとがき

色々と推敲して来た結果、仕上がりはやはりこうなりました。
時貞をどう動かすか、伯爵の決着とかをどうするか、そしてジャド絡みをどんな展開にするか。
沙紀の真の転身も、『秘女乃や静那と違った、そんな感じにしよう』という事で外見を考えてみました。
ミルドの方は沙紀やエレオスとは違いますが、ブレない性分ですので、
バシリスクとコカトリスは、何だかんだ言って爽やか系な組み合わせになってしまい、赤眼と黄口が羨みそうな結末になりましたが、これで良かった、的に仕上げられました。
一つ、大魔縁がメイアを狙ったらジャドが庇うという展開もあったのですが、それだと伽羅のデッドコピーみたいになってしまいますので、こんな形にしました。
メイアは薄い本な展開になった訳ですが、物語前なら大いに有り得た話なだけに……

ONIΩも残り僅かとなりましたが、是非最後までお付き合い頂ければ幸いです。

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