ONIの里

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隠忍伝説(サイドストーリー)

ONI零 ~虚ろより生まれし仔よ~

桃龍斎さん 作

『九 死闘 (完全版)』

地獄の中を突き進む響華丸達。
3人を襲って来るのは地獄の亡者だけでなく、その地獄を住処としている邪悪な化け物もいた。
獰猛さ、術の力、そして純粋な体力、何れも地上の優れた妖魔でも危ない程のもの。
だが相手が何であろうとも、響華丸達は歩みを、攻撃の手を止めない。
モタモタしている暇は無く、ひたすら前へ、前へと突き進んで行く。
そうして地獄の中の、中核へ続くであろう穴が開いた大広間に到達した3人だったが、穴の前には闇牙と影屍、そして響華丸が転身した姿と似たような男女の異形が数体立って待ち構えていた。
「これは……私を元にして作り上げた、正真正銘の人形……あるいは、私の元になった人形!」
睨む響華丸の言葉を正解として、影屍が説明に入る。
「如何にも。その名も響華傀儡(ゆらかくぐつ)!道鏡様が技術の全てを尽くして再現させたONIの力、身を以て味わうが良い!行け!」
影屍の号令と共に響華傀儡達は一斉に響華丸へ向かう。
響華丸も目で江と螢に合図を送り、2人もそれを受け取って戦闘態勢に入る。
「転身!流撃鱗士!!」
雄々しい激流を身に纏いつつ、蛟の化身たる妖魔の本性を見せた江が地面をまるで泳ぐかのように闇牙目掛けて駆ける。
「転身、燐天陽姫~」
小さな火の玉を無数展開させ、それが爆発して生じた炎から無垢な火鼠(ひねずみ)たる隠忍となった螢が飛び出し、影屍の方へ走る。
「転身、凶破媛子……!」
最後に青白い閃光と共に生気溢れる翼を広げた鬼神へと転身した響華丸が飛翔し、響華傀儡らを迎え撃ちに入った。
闇牙も転身して巨大な鬼となって諸手を広げ、影屍も鎌を手に、黒衣を大きく広げながら螢を待ち構える。
「ふん!此処は地獄!我らは今までとは比べ物にならぬ程の力を手にした!江、貴様を確実に叩きのめしてくれるわ!」
「此処で引導を渡してやらぁっ!力に溺れた奴の末路を行きやがれ、闇牙!」
鞭のようにうねる両腕を縦横無尽に振るいながら、闇牙と向き合う江。
「小娘よ、両親が首を長くして待っているぞ……!」
「ん~ん。此処にお父さんもお母さんも来てないよ、おじさん。ちゃんと螢の中にいるの。それから、もう悪い事は止めさせるね。地獄が広がったら、皆悲しんじゃうから」
爪を伸ばした螢は何時もと変わらぬ、怯えも怒りも憎しみも無い真顔で影屍を見詰める。
そして二局の戦いは、上空で響華丸の拳が響華傀儡らの拳とぶつかり合ったのを合図に始まった。

「さあ、行くぞ!」
言うが早いか、闇牙は地面を滑るように疾駆して江に接近する。
「?!」
突然間合いに入られた為に対応が遅れた江、その右側から闇牙の左拳が放たれた。
「がぁ……!」
不意を突かれた一撃で小石のように跳ね飛ばされた江は地面に2,3回ぶつかった所で地面を殴り、その勢いで体勢を立て直そうとする。
しかしその背後には何時の間にか闇牙が回り込んでおり、右の拳骨が江の頭頂部に向けて突き下ろされる。
「!危ねっ!」
寸での所で跳んで避けた江は鱗と水の弾丸を無数飛ばし、地面からも水の龍を呼び出して闇牙を吹き飛ばそうとする。
その攻撃を、闇牙は左腕を盾代わりに構えて防ぎながら前進した。
「ははは!地獄の亡者共を喰らった甲斐があったというものだ!この力ならば、この力ならば俺は最強の妖魔となれる!愛染紅妃が恐れたとされる地獄をも制した俺は、最強の鬼となれるのだ!!」
豪語と共に振るわれた豪腕が地獄の業火を呼び起こし、大地を切り裂き、守りに転じていた江の全身をも切り裂く。
「づぅっ!!」
「どうだ!?これでなら俺は斬地張を纏め上げ、天地丸の如き半妖をも捻り潰す事も出来る!貴様はその道となり果てるが道理だ、江!!」
全身を切り裂かれて血が噴き出す江を蹴り、そのまま地面に押し倒した闇牙はそこからもう一度右足を振り上げ、彼の顔面を砕こうとする。
だがその顔に見えるのは焦りでも戸惑いでも無く、純粋な闘志による怒りであった。
「本物の馬鹿だぜ、てめえはよぉっ!!」
「!?」
押し倒された江がギンと蛇のような目で睨み、両腕を闇牙の左足に巻き付かせて思い切り引っ張る。
それによって闇牙は体勢を崩して転び、跳ねた反動を返された状態で投げ飛ばされた。
江はそこで終わらず、一旦両腕から闇牙の左足を離した後で拳から伸びた爪、尻尾で突きの連撃を繰り出す。
「そういうもんで強くなれるかよ、生き物は……地獄の亡者を喰おうと、生きてる人間や獣を喰おうと、腹満たすだけだ。本当の意味で強くなるって事の意味を、てめえは履き違えてやがる!それを今示す!!」
断言と同時に鋭く拳と尻尾が闇牙の胴に突き刺さると、江は歯を食い縛って思い切り闇牙の巨体を持ち上げ、軽く上へ放る。
そして突き出した両手から、氷の飛礫や自身の鱗を伴った激流を放ち、彼を上空へ押しやった。
「何ぃっ!?」
鋼鉄の如き肉体に小さな傷が入り始めた事で、闇牙の顔から余裕が消え始め、激流が止んだ所でその巨体が重力に引かれ、そのまま地面に叩きつけられる。
「強さってのはな、見せびらかすもんじゃねえ。生きてやるって気持ちを示す為のものだ。上に立たなくとも、あたしは人間の中で生きて行ける。隠忍は、生きる事を、誰かを生かす事を目的に生まれたんだ。例え人間や妖魔に否定されたとしてもな!」
「くく……生きる事を目的に、だと?司狼丸もそうだったな。だが結果はどうだ?奴は敵を押し潰す力を持たなかった!だから殺されたのだ!その事実を知った以上、俺が信じられるのは絶対的な力のみ!如何なる反逆者を、血も涙も流す事無く捻り潰す力こそが絶対だ!」
江の言葉にそう抗いながら、闇牙は起き上がって豪腕からの拳の突きを繰り出す。
それを江は受け流し、時折両腕と尻尾を鞭のように振って牽制を掛ける。
「力が全部な訳じゃあない。そんな力ってのは、決まって退魔師にぶっ潰されるのさ。それが時空童子の、司狼丸の散った意味!だがあいつは、その中で本当に取り戻したいものを見つけた!力より大切なものをな!」
両者の攻撃は相殺されず、そのまま相手を掠めて切り傷を生んだ。
「腕っ節の力で、最強になれる訳がねぇんだよ!」
その撃ち合いの中で、速さと鋭さにおいて勝る江が姿勢を低くして駆け、しなる両腕を振り上げる事で闇牙の脇腹を切り裂いた。
「ぐあぁぁぁっ!!貴様……貴様貴様ぁぁっ!!」
大きく仰け反った闇牙も両手で江の腕を掴み、鋭い角を打ち付けるように頭突きを何度も叩き込む。
「うぅっ!」
たった一撃で額が切れて血が噴き出し、次なる一撃が傷口を広げ、脳を揺さぶって江の視界を大きく狂わせる。
「これで、止めだぁぁっ!!」
江の目が虚ろになりかけたのを見て、闇牙は彼の両腕を放し、自分は両拳を組んで江の脳天に思い切り振り下ろす。
その鉄鎚をも凌ぐ一撃は触れただけで江の顔面が瞬時に地面に叩きつけられ、それと同時に血が地面を真っ赤に染め上げた。
手応えあり、これで完全に仕留めた。
闇牙はそう信じて疑わず、薄ら笑いを浮かべていた。
風を斬り、肉を穿つ音と共に自身の胴に激痛を感じるまでは。
「っ!?」
俯せになっていた江の頭を見下ろしていたほんの一瞬だけ、闇牙の視界に槍のような細長いものが通り過ぎた。
それは江の尻尾であり、尻尾は闇牙の胴をしっかりと貫いていたのだ。
「何処までも、貴様という男はぁっ!!」
胴から背中にかけて尻尾によって刺し貫かれながらも、闇牙は激しい怒りの声を上げながら尻尾を掴んで自分の胴から引き抜き、そこから思い切り、もう一度彼を地面に叩きつける。
が、江は両手を地面に突き立てた事で激突を免れており、尻尾の力で闇牙を持ち上げた。
「なっ…!?」
まさか尻尾で巨体を持ち上げるとは思わなかったか、闇牙は江の力に驚き、しかしそれを認めまいと両拳で左右から江の身体を挟み撃ちにする。
「ぐぶぅっ……!」
両肩、そして両脇が悲鳴を上げ、砕けた鱗から血が噴き出、口からも相応の量の血を吐く江だったが、足はしっかりと踏ん張っており、そのまま尻尾で闇牙を投げ飛ばしてから身体を起こして構え直す。
「あたしは……てめえを倒す!倒さないで、あたしは今までの事を清算出来そうにないって事に気づいたからな!」
江が全身の筋肉を収縮させる事で鱗も引き締まり、傷口が閉ざされて出血が抑えられていく。
そして、闇牙が体勢を立て直し切るよりも早く駆け出し、激流を纏った爪と拳、そして尻尾による連続攻撃に入った。
「斬地張を、内側から変えようとしなかった事!時空童子になった時の司狼丸を助けようとしなかった事!だが、そこに負い目を感じている訳じゃあねえ!」
言葉を織り交ぜつつ、江の猛攻は続く。
「外側から見えないものもあれば、内側から見えないものだってある。そして司狼丸が否定された事の意味、そこにも、哀しみの涙があるって事だ!涙に応えるってのが、親を知らなくても戦い続ける、あたしの意義だ!」
闇牙も強靭な胸部で江の攻撃を受けながらも、空いた両手を突き出して反撃に入る。
「黙れぇっ!涙なぞで力がつくはずがない!涙は枷でしかない!涙を流せば奇跡は起きるか?司狼丸が泣いた事で奇跡は、ヤツにとっての輝きはあったか?無かったであろう?それが現実だ!そしてそれを学んだ俺は、純粋に力を求めてこそ妖魔の生き方と理解したのだ!」
闇牙の拳、その一撃一撃は下手な大斧よりも鋭く、重い。
その拳により、江は鱗を切り裂かれ、全身を膾(なます)切りにされかける。
だが、切り傷は少しずつ閉ざされ、彼の真っ赤な瞳は炎のように輝きを増していた。
「だからこそ、応えるんだろうがよぉっ!!」
怒号と共に放たれた江の体当たりが炸裂し、剣のように外側へと向けられた鱗が無数、闇牙の身体に突き刺さる。
「う、おぉっ……馬鹿な!あの頃はそこらの妖魔が毛の生えた程度の貴様が……」
鱗が深く突き刺さった事で、傷が深くなった闇牙は、段々と目の前の事実を疑い始めた。
「お、俺が……何故だ!?俺の身体は……最強じゃ、なかったのか!?」
己の身に降りかかる、死という名の運命。
今まで数多くの他者に与え続けて来たものを、自分が受ける等と思わなかった闇牙は、目の前で血塗れになりながらも妖魔の形相で、しかし人間の光り輝く瞳で睨む江を見る事しか出来なかった。
「……最強な訳ねぇだろ?喰らう事しか知らねぇ妖魔が、鍛える事、支える事、傷つく事を学ばない限り上に登れる訳がねぇ。それが、あたしとてめえの差だったのさ」
戦意、闘志が弱まった闇牙に対し、江は止めとばかりに尻尾を瞬時に、心臓目掛けて突き出す。
尻尾はしっかりと闇牙の左胸に突き刺さり、しばらくしてそこから引き抜かれる寸前に、弧を描いて内側から彼の身体を切り裂く。
それによって闇牙の胴から左胸にかけて真紅の三日月が描かれ、闇牙の口からは血が濁流のように吐き出される。
その血が吐き終わった所で、巨体は大きく後ろへと倒れ、闇牙は白目を剥いて口を大きく開けたまま、完全に絶命した。
「……闇牙、斬地張で学び方を間違えたのが、てめえの不幸だったって事さ……それだけを呪いな。個人を恨んだ所で、何の解決にもなりゃしねえよ」
出血と疲労で息を切らしていた江は、そう呟きながら血を拭い、闇牙の亡骸に背を向けて歩き出した。

「行くよ」
先手を取った螢は、戦士には不似合いとも取れる、両手を横に広げてトコトコ走るという子供らしい動きで影屍に近づきつつ、両手を振って火の玉を飛ばす。
影屍もゆっくりと前へ進みながら鎌を両手に持って火の玉を切り払い、彼女との間合いが狭まった所で横薙ぎを繰り出す。
「よっと」
羽毛のように軽い身のこなしで鎌を避けた螢は自分の足の裏辺りに火の玉を作り、それを爆発させる事で自身を前に押し出して頭突きを繰り出す。
その奇抜な攻撃で影屍は眉間に一撃をもらったが、数歩下がった所で黒衣を斧の形に変えて彼女を叩き落とす。
「更に強まったわしの力、受けて見よ!」
「はいっ」
髑髏(どくろ)の目から黒紫の光の矢を放つ影屍に対し、地面に手を突いた螢はそこから後方へ跳ね起きるような回転をして矢をかわし、ある程度離れた所で左右に飛び移りながら再び彼に接近し、迫る鎌を左手の手刀で受け流して右足の蹴りで黒衣を切り裂く。
だが、命中はしているものの、黒衣が切り裂かれて出来た穴からは黒紫色の靄(もや)が発生するだけに終わった。
「あれ?」
「カカカ、わしは生粋の地獄の者。死者の魂を黄泉へ送るのが本来の死神の在り方だが……」
螢がきょとんとする中、影屍はその靄を触手に変えて彼女を絡め取り、地面に叩きつけながら続ける。
「わしはそれとは違い、道鏡様に忠誠を誓う事で死者を直接地獄へ送り届けるが役目。閻魔(えんま)の裁き抜きでの地獄送りで生じる亡者の怨嗟と悲嘆はまさに道鏡様の滋養(じよう)となる……」
「うにゅぅ……」
顔面から激突した螢は鼻を摩りつつ起き上がるが、影屍の左手から放たれた冷気の飛礫を避けながらも、何かに気づいたらしく声を掛ける。
「もしかして、お母さんを殺そうとした退魔師さん?」
「御名答。わしは隠忍という偽善者を憎み、故にお前の母親を殺そうとしたのだが……それをお前の父親が阻んだおかげで、今のお前が成り立ってしまった。わしを蹴落としたあの退魔師、その血族、隠忍そのものを滅ぼしたい、その願いに力を貸してくれたのが道鏡様だったのじゃ」
「……凄く、やっちゃいけない事だよ、それ」
怒る事が出来ない為に、真顔でそう言い放つ螢に対し、影屍も妖しく輝く眼光をそのままにして返す。
「弱肉強食こそ世の常。手を取り合った所で、すぐに殺し合いへと変わる。それを否定しているのが隠忍の一族……わしはそれが許せん!食うか食われるか、それを破るようなやり方こそ、世の常に背く行為じゃぞ」
「おじさんの決めた事は、皆を悲しませるだけだよ。片方が喜んでも、楽しんでも、もう片方が楽しめなかったら、意味が無い。だから、螢はおじさんをやっつけるの。幸せを、皆の幸せを壊させない為に」
ギュッと握り締めた拳に炎が纏われ、螢は疾駆した上でそれを影屍の顔面に叩き込む。
その直撃はしっかりと入っていたのか、影屍は大きく吹き飛ばされて転倒した。
「ぬっ……おのれ小娘!何処までも世の中を汚すつもりか?平和等、すぐに崩れ落ちるものである事が何故分からん?争い合うが人の運命ならば、平和等不要のはず!」
すぐに起き上がった影屍の放つ影の触手は槍のように無数伸び、追撃しようとする螢の足を止めつつ、先端からの雷撃が彼女を打ち据える。
「うぅっ……」
「五行軍の崩壊も、地獄門の解放も、時空童子の覚醒、そしてその時空童子の封印も、全てが隠忍に起因しているではないか!そう、平和を望む者の為に他の者はそれを異質とし、否定する……隠忍は被害者面した加害者なのじゃよ!それで十分じゃ。わしがお前の母を殺そうとした理由はなぁっ!だが実際に殺したのはお前自身じゃ、小娘!その罪の重さを味わうが良い!」
雷撃で動きが鈍った螢に、影屍の触手が絡みつき、手足に先端が突き刺さると、そこから少しずつ、淡い橙色の光が吸われていく。
他ならない、彼女の力だ。
「あ……力が、抜けちゃってる……ん~……」
まるで眠気に襲われたかのような脱力感に、転身が解けてしまった螢はそのまま触手からの電撃を受け、影屍の鎌が首に宛てがわれる。
「っ!」
「如何に泣かず、怒らず、怯まぬお前でも、殺される恐怖には敵うまい。司狼丸も人の為と言いながら、舌の根が乾かぬ内に己の命の危機で力を覚醒させたのじゃからな……汗が良く見えるわい」
影屍の言うように、螢の顔には冷や汗が幾筋も流れており、その全身も小刻みに震えている。
「(ああ……これが、”怖い”って感情……涙は流れないけど、動けないってこの事なんだ……)」
自分の身に起きている異変に、螢の閉じた口は歯をカチカチ鳴らしている。
それが影屍にとっては心地良く聞こえたのか、鎌から左手を放し、骸骨のもの同然なその手の爪でゆっくりと螢の右頬を切り裂く。
「痛っ……」
「じっくり、恐怖を受けるが良い。そして完全にお前の心が恐怖で凍りついたら、その凍った魂をしっかりと狩り取って道鏡様への供物(くもつ)としてくれよう……」
震えは大きく、全く動く気配が無い。
それは間違い無く、この少女を容易く殺せるという事だ。
何より自分の影の触手は、転身の解けた彼女から更に法力を奪っているのだから。
影屍はそう確信すると、少しずつ、少しずつ鎌の刃を螢の首筋に近づけた。
迫り来る死、それに対する恐怖に、螢は段々と震えが大きくなるのを感じていた。
「(皆、こうして怖くて、動けないまま死んじゃったんだね……お母さんも、この震えで動けなくなって、螢に殺してもらう事でしか解決出来なかったんだ……でも、螢は……)」
眉間に一度も皺が寄った事が無かった螢。
今も全く、眉間は歪んだりしない。
それが自分の生まれつきである事、即ち怒りと悲しみを抱けないからである事は分かっている。
だから、彼女は前へ進む事を、戦う事を選んだのだと認識していた。
その気持ちは今も変わっておらず、それを足掛かりに彼女は目を閉じて小さく深呼吸する。
「(螢は……死なないよ。恐怖は、要らないものなんかじゃない。だって、それが無かったら響華丸は強くなれなかったもん……だから……)」
先程まで大きくなっていた身体の震えが治まり、脱力感はあるのに意識が遠のく気配が無い。
それを感じていた螢はパッチリと目を開き、自分の心の奥深くにある光を強めた。
「……おじさんに負ける訳にも、殺される訳にも行かないよ……!」
「?!」
強まった光と共に放たれた言葉が切っ掛けとなり、螢はそれまで冷たくなっていた自分の身体が温もりを取り戻し、身動きが取れるようになっていく。
それを確かめるや否や、彼女は左手で影屍の鎌を掴み取り、彼の顔面に向けて右手を突き出した。
同時の行動で、螢の左手から血が噴き出し、影屍の目の部分と額に鉄矢が突き刺さる。
「う、うおあぁぁ!?」
奇襲を喰らった影屍が思わず両手で顔を押さえる中、螢は飛翔して鉄矢を彼の足元に、陣の要となるように撃ち込んで行く。
「おじさんの言ってた事だけど……皆ね、一歩ずつ、一歩ずつ間違いを理解して歩いているんだよ。崩れても、また組み立てて、少しず丈夫にしていけば良いから……だから、螢は何度でも立ち上がれるよ。この暖い心を伝える為に、皆を笑顔にする為に、ね」
陣が完成すると、地面に不思議な術式の文字が描かれ、影屍の動きを封じる。
「こ、この結界は正しく奴の……!振り解けぬ!」
「皆の笑顔を作るのは難しい……だから、頑張るの。そうした難しい事も乗り越えてこそ、隠忍の未来を切り開く存在だから……」
影屍の動きが封じられた中、螢は印を素早く組み、術を発動させた。
「……破邪浄炎(はじゃじょうえん)!」
何時にない凛然とした声と共に、陣から炎が上がり、影屍を瞬時に飲み込む。
「ぎゃあぁ~~!!」
その炎に飲まれた影屍は黒衣を焼かれ、露になった骸骨の身体は下から見る見る内に砂のように崩れ落ちていく。
だがその中から頭蓋骨(ずがいこつ)を頭部としている悪霊の如き姿となった影屍が現れ、炎を打ち消しながら螢に急接近する。
「ふわっ!?」
思わぬ接近に対応が遅れた螢はそのまま影屍に首を掴まれ、締め付けられる。
「わしは人間でも妖魔でも無い、まして地獄の亡者でも無い!古より現れし、死の悪霊じゃ!お前は直々にこのわしの手で魂を抉り出してくれる!」
悪霊の両手が、霊体でありながらも少しずつ螢の首に食い込み、そこから邪気を流し込んでいく。
螢はその度に痙攣(けいれん)を起こし、目が虚ろになりかけ、口からうっすらと血が流れ出る。
「……螢は、頑張れるよ……うん!」
傍から見て、誰に対してかは分からない言葉と共に螢の瞳に光が戻り、瞬時に彼女の両手が影屍の手首を掴む。
すると掴んだ部分から光が溢れ出し、影屍の全身へと広がったその光は内側から彼を焼き始めた。
「な、何だお前は!?痛みを、苦しみを感じているはずなのに……」
驚く影屍に対し、螢は転身して全身の力を高め、自分の首から影屍の手を引き剥がしながら、何時に無い凛とした声で答える。
「だからだよ。痛みを、苦しみを感じられるから、螢は死ぬって事の意味を、殺すって事の意味を理解出来た。何より、生きるって事が、幸せでいられる事がどれだけ大切なのかが分かるの。それを、おじさんに踏み躙られる訳には行かない……!だから、螢は戦う!頑張る!勝つ!!」
太陽の輝きのような、螢の全身の輝きが影屍を照らし、段々と彼を消滅させていく。
「おお……あああ……あぎゃあぁ~~!!」
消滅と同時に高熱が入ったか、影屍は絶叫してもがき苦しむ。
それを見た螢は右拳を強く握り締めると、すぐさま拳を影屍の胸だった部分に突き刺す。
その一撃は光を放ち、影屍の身体の消滅が一層速まった。
「隠忍が……救世主となっては……この世界に認められては……なら……ん……の……じゃ……」
それが影屍最期の言葉であり、言い終わってしばらくしてから頭蓋骨部分が完全に消滅した。
「ん~ん。存在する事を受け入れないと、誰も、自分を含めた誰も好きになれないよ……だから、次に生まれて来る時は、もっと心を広く、ね」
影屍の成仏を願わんばかりに合掌した螢。
目頭が熱くなったり、涙が溢れるという事は無く、ただ自分が成すべき事を成す誓いと共に。

赤黒い翼を羽ばたかせて集団で来襲する響華傀儡は手にした爪で響華丸に斬り掛かる。
それを響華丸は右手の剣で切り払いつつ、響華傀儡に一撃ずつ斬撃を浴びせ、擦れ違った所で光弾を叩き込んでいく。
そうした攻撃でも落ちずに迫って来るものへは左拳を突き刺し、その衝撃を後方へと及ばせる事で撃ち貫いた。
同じ強度を持つ鬼神と言えど、響華丸の方が純粋に攻撃力が上である結果だ。
ならばと、残った響華傀儡も甲冑から伸びる鋭い爪を手裏剣のように飛ばし、拳から光の矢を無数放つ。
地獄の赤黒い空を更に禍々しく彩る黒紫の光の矢はまるで猛禽(もうきん)の如く響華丸を追うが、彼女も慌てる事無く自身の周囲に光弾を数個展開させ、それらで矢を撃ち落とし、接近する響華傀儡を迎え撃つ。
「消耗を狙っているようだけれど……手間取る訳に行かないわ」
距離を詰め、鋭い爪を伸ばして来た響華傀儡。
彼等の爪が自分に触れるか否か、その刹那を見計らい、響華丸は上空へ飛翔する。
その結果、響華傀儡らは一箇所で衝突し合い、互いに切り裂き合う格好になった。
これが響華丸の狙いであり、彼女は翼を広げて加速に入ると、分身するように動いて左手から青白い光の槍を何本も放つ。
まるで全方位からの攻撃を思わせるそれは確実に響華傀儡達の逃げ場を奪い、命中と同時に大爆発を起こす。
が、その爆風の中から、禍々しい鎧を身に纏い、一回り大きくなった響華傀儡が姿を見せ、響華丸に向けて突進を繰り出した。
「!合体して力を高めた、か」
突進を回避するも、軌道を変えて戻ってきた響華傀儡の右拳を防ぎ切れず、押し飛ばされる響華丸。
装甲が僅かに傷ついていた彼女は続けて放たれる剛拳を紙一重で回避するが、掠っただけで装甲に小さな切り傷が入り、肌にもうっすらと青白い筋が入る。
直撃すれば、彼女の身を纏う装甲が粉々に砕けて大痛手を被る事は火を見るより明らかだ。
だがそれへの警戒はほんの僅かで済んでいたのか、響華丸は自分からその拳を喰らいに向かった。
「っ!!」
肉を打つ音と共に激痛が全身を貫くのを感じた響華丸。
一瞬目が泳いだ彼女は、即座に響華傀儡の右拳を右手で掴み、追撃の左拳を自分の右拳で合わせるように打つ。
相討ちになるかと思われた彼女の拳は僅かに装甲が砕けたのに対し、響華傀儡の方は拳だけでなく、左腕全体の装甲が砕け、露になった部分にも無数の傷が刻まれ、青白い血が吹き出る。
「はぁぁ……!!」
静かな、しかし熱い裂帛の気合と共に響華丸は瞬時に左右の拳の連打を放って響華傀儡の装甲を砕き、装甲が砕けた所に光の剣を連続で突き刺す。
出鱈目ではなく、まるで北斗七星を描くかのような突きなのだが、八撃目は輔星(ほせい)に当たる部分を思い切り刺し貫き、そこから抉るような斬撃を放った。
「死の星の一撃、これで滅しなさい」
言葉と共に光の剣が彼女の左手を鞘とするかのように納められ、鍔鳴りに似た音と共に響華傀儡の身体が二つに両断、爆発する。
爆発時に散った肉片がモゾモゾと動き出して再生するかに見えたが、その傷口部分は青白い光で焼かれていく内に全て光の粒子となって消滅し、響華傀儡は二度と甦る事は無くなる。
「心を持たずして、鬼神の真の力は引き出せないわ……」
消え去った響華傀儡に向けてそう言い放ち、響華丸は江と螢が無事であるのを確認して地上へ降りた。

3人は合流し、傷の手当を行なった所で中核への穴の前に立つ。
壁は今までの道と同様に生き物のような脈動をしており、地獄の瘴気の影響でか、赤黒い輝きが明滅している。
「ん~……凄い邪悪な気……このまま普通に飛び込んだら力が全部吸い取られちゃうみたいだね」
「地獄のど真ん中だからな。鈴鹿がビビるくらいってのが、此処からでも良く分かるぜ」
そう言いながら大穴を、その奥深くを見詰める江の全身は僅かに震えており、顔から幾筋もの冷や汗が流れている。
螢も呼吸が少し荒くなっており、瘴気に負けまいと唇を噛み締めていた。
「……掴まってて。私の展開する結界なら、あの瘴気の通路を通り抜けられるはずよ」
言いながら、響華丸は清い青の結界を球状に張り、手を繋いだ2人をその内側に入れると、少し浮遊して穴の中へと入った。
穴の壁からは特に何も仕掛けて来る様子は無いが、赤黒い明滅は絶えず続いており、入口が小さくなって見えなくなっても、出口は一向に見えない。
それでも3人は手を繋いだまま降下し、下をジッと見詰め続ける。
数分して、壁の赤黒い明滅が激しくなり、緑色やら黄色、紫色と壁が妖しく輝くようになった所で、出口たる穴が見え始めた。
その出口を通り抜けると、3人は大きく開けた空間に降り立った。

血のような赤一色の床、そして赤紫色と青の斑な空間。
それは上のものと変わりは無かったのだが、今し方響華丸達が潜って来た穴からは青白い霊魂が無数出て来ており、それがある方向へと集まって行く。
その方向に道鏡は居た。
胡座を掻き、杖を横に突き立てた状態で諸手を掲げ、霊魂を自分の方へ引き寄せながら。
道鏡に吸い込まれた霊魂は彼の諸手が下ろされると同時に赤黒い色に変わって先程通った穴へと入っていく。
即ち、道鏡の力を受けた霊魂が地獄門へ出ているのだ。
そして、その霊魂の方へ邪気が集中していたのだろう、江も螢も、響華丸と繋いでいた手を放しても、脱力感に襲われる事無く身構えた。
「……道鏡」
響華丸の声に、道鏡は手を止めて立ち上がり、彼女を睨む。
開かれた目は真っ白だが、苛立ちが見えていた。
「……響華丸……全てはお前が仕損じた所為じゃ。わしは、『向こう側』への復讐の為に手を尽くし、力を尽くした。司狼丸の持つ時空を操る力、その存在を利用する事での奴の心の闇の増幅…それらにより、わしは高位の存在に進化するはずじゃった……それをお前は、完全にぶち壊した……!」
突き出された杖からはまだ攻撃の光は無いものの、道鏡の身体からは禍々しく赤黒い邪気が溢れ出ている。
彼の怒りを示すかのように、炎のように揺らめいて。
「……あんた、本当は何がしたいんだ?何の為に、『向こう側』で何をやらかしたんだ?」
江が単刀直入に問えば、道鏡も突き出した杖を戻しつつ答える。
「簡単な事じゃ。世界を我が手に納める為、数多の存在を利用した。じゃがそれを阻んだのが隠忍の一族。隠忍の中でも鬼神の血族とされている者は『向こう側』では救世主とされていた。ならば、彼等が救世主とされず滅びるようにしなければならん。それを、この世界にたどり着いた折に画策した。あちこちに周り、隠忍が半妖である事、妖魔からすれば裏切り者である事を伝え、絶滅出来るように、な……」
「でも、絶滅まではさせなかったんだね?司狼丸の力を見た時に……」
道鏡からすれば隠忍は邪魔な存在、最大の怨敵。
しかし今日に至るまで自分達が生きているという事は……
その鍵が司狼丸にありと、螢は改めて認識していた。
「本来ならば泳がせた上で一網打尽にするはずじゃった。しかし時空を操る力を、神ですら手にしていない力を目の当たりにした時、わしはそれの全貌を明らかにした上で手に入れる事に決めたのじゃ。半妖にあれほどの力があるとは眉唾(まゆつば)ものではあったがな」
「そして、全てが明らかになった事で、後は力を回収した上で『向こう側』を破壊する予定だったのね……この世界と『向こう側』の隠忍を根絶やしにした上で」
その一環として自分の存在があるとも、響華丸は含みを抱き、道鏡もその通りと首を縦に振る。
「そうじゃ。さて、響華丸よ……何故お前にその名が与えられたか、分かるか?」
不意にそう投げ掛けられた問いに、響華丸は無言で首を小さく横に振る。
間違い無く目の前にいる道鏡こそが、自分を造り、名前を与えた存在、即ち親に相当する者。
だが、そうした事を深く考える理由は無かったのだ。
そうした反応を受けて、道鏡は静かに語り始めた。
「ならばお前達の滅びの前に話すとしよう。司狼丸の力を見てから、わしは2つの計画を立てた。時空を遡り、歴史を書き換える時響(ときゆら)の計画、これは時空童子の力を手にする事が絶対条件じゃった。そしてもう一方は並行世界を渡り、わしの居た世界への復讐を行いつつ、外部からの介入を未然に防ぐという華盾(かじゅん)の計画。それを果たす為の、最大の手駒としてわしが造り上げたのが、隠忍を模した人型の武器、響華傀儡……そう、響華丸よ、お前が倒してきたものじゃ」
その説明に江と螢も納得していたが、江は少し驚いていた。
「武器だと……!?それも人間の形をした……」
「じゃあ、そのお人形さんには本来、時間・時空を操る力と、並行世界を移動する力、つまり司狼丸と伊月さんの力が組み込まれるはずだったって事なんだね……」
「如何にも。伊月が死んだあの日、ヤツの血を手にし、効力を調べる中でその響華傀儡が出来たのだが……男か女か、赤子の状態で生み出すか、ある程度成熟した形で造るか……それらの試行錯誤の結果、完成体として出来上がったのは響華丸、お前だけだった。力も、生命力も、肉体や精神の安定性も、お前以外にわしが満足したものは無かった。後にも先にもな。お前だけが並行世界へ渡る力を開花出来たのじゃ。他は戦う為の武器、人形でしかない、文字通りの傀儡じゃった」
響華丸は道鏡の言葉をしっかりと飲み込み、しかし動揺する事無く質問を投げかける。
根本的な疑問、そしてこうした事態になった、最大の原因を知る為の問いを…
「……私を『向こう側』へ送った時、何故私一人だけだったの?私を導き手として傀儡を多く送り込めば、あなたの目論見通りになっていたはずよ」
「良き問いだ……しかし答えは実に単純じゃよ。響華丸、お前は一人で事を済まさなければならなかったのじゃ。忌々しい隠忍共を一人で抹殺してこそ、真なる復讐の完遂となっていた。仮に数で攻めたとしても、お前と傀儡の差は天と地以上のものである故に、奴等からすれば傀儡など数に入らぬ。この地獄では、地獄特有の瘴気があるからこそ、傀儡はようやっと隠忍に負けぬ力を手に出来たのじゃ。そしてお前こそは、『向こう側』の隠忍の中で主力たる男達、奴等を抹殺し得るものにして響華傀儡の完成体、即ち奴等を超えし我が最高傑作……故に響華丸と名付けたのだよ……!」
説明を受けて、螢も今まで抱えていた疑問が此処でしっかりと解決し、意味を理解出来た。
「そっか。普通、後ろに『丸』って名前が付いている人は男性だもんね」
「何にしても、道鏡が私を買い被り過ぎていた事に変わりは無いわ。力の有り方を間違えたその時点で、ね」
冷静ながらも、鋭く切り込むような響華丸の言葉に、道鏡は歯軋りをしながら邪気を解放させ始めた。
「……時響と華盾、わしの復讐を果たし、栄光を手にする為の要となっていたこれらが失敗してしまった以上、わしは全てが恐れる手段を取らなければならん。そう、地獄との同化こそ、わしの最後の切り札!」
宣言と共に、捻くれた杖が再び地面に突き立てられると、道鏡の足元の地面が無数の触手となって彼の身体を取り込み、そのまま沈んでいく。
その束の間、彼が立っていた場所とその左右が大きく隆起し、赤で染まった三つ目の髑髏の頭部、同じ色の骸骨の手という巨大な化け物が姿を見せた。
頭頂部からは寄生虫のように大きな芋虫が突き出て、無数の牙と触手で覆われた口からは毒々しい緑色の粘液を垂らしている。
芋虫の額にある第三の目には道鏡の額に描かれていた梵字が浮かび上がっており、その化け物こそが地獄と一体化した道鏡である事を断定させていた。
「おおお……これだ……よもや地獄にこれほどの力があるとは…フハハハハ!ハーハハハハ!最初からこうすれば、わしは全てを意のままに出来たのじゃな!アーッハッハッハッハッハッハッ!!」
若返った声で笑う道鏡は髑髏に据えられた黄色い眼球で響華丸達を睨みつける。
響華丸達もその眼光に臆する事無く、臨戦態勢を取った。
「世の中は意のままになんないのが普通だ。ガキじゃああるまいし、てめえの都合を世の中に押し付けんじゃねぇっ!苛められる覚悟が、踏み潰される覚悟があるんなら、あたしも同じだ!てめえをその腐った野心ごと、叩き潰す!」
豪雨が降り注ぐかの如く、川が氾濫(はんらん)するかの如く怒号を放った江は攻撃用の鱗を逆立たせ、尻尾の先端も槍のように鋭く尖らせる。
「幸せは、あなた一人だけのものにしたらダメだよ。それと、殺し合いと奪い合いに、本物の幸せは無い。だから、螢は道鏡、あなたを止めるね。本物の幸せを、この世と地獄、どっちにも届ける為に」
あくまで陽だまりのような温もりを絶やさず、闇の中に消える事のない明るさを保つ螢も身体中を巡る力を強め、それを炎として背中に背負う。
「……あなたは、どうやら完全に打ち倒されない限り、止まらないようね。だったら、私も真っ直ぐ貫くわ。信じた道、手にした想いを……!」
地獄の瘴気を完全に浄化せんと、己の信念、友との誓い、散った者達の願いを光に変え、心と身体を輝かせる響華丸はその光を瞳、角、拳、そして翼に集約させて浮遊する。
「ほざけ、半妖!!」
3人の様子を不快に感じた道鏡はそう言い放つと同時に、泥を掻き分ける要領で両手を地面と同化させたまま動かし、掌から黒い雷撃を放った。
「来た……!」
「おわっ!?」
「わわっと」
咄嗟に上へ飛んだ3人は雷撃を避けると、江と螢は道鏡の手に向けてそれぞれ激流と炎を叩き込む。
2人の攻撃が両手を押さえ込む中、響華丸は道鏡の頭部が放つ光線を避けつつ、自分も光線で反撃に転じる。
しかし攻撃が命中して髑髏に傷を付けても、その傷は見る見る内に塞がり、開かれた口から赤黒い炎が吐き出されて響華丸の腕を掠めた。
「くっ……何て邪気……!掠っただけで……」
強烈な痛みと同時に、力を吸い取られる感覚を覚えた響華丸は改めて道鏡本体を睨み、光線と炎を掻い潜りながら斬撃を放つ。
その一方で江は道鏡の右手の指を腕で絡め取るが、道鏡の力は闇牙が赤子のように思える程のものであり、魚釣りの要領で軽く江を上へ放り投げ、掌からの雷撃で彼を焼き焦がす。
「うがぁっ!」
螢も道鏡の左の五指から放たれる光線を避けながら近づいていたのだが、突き出した右足が道鏡の左掌から生じた結界で弾かれ、そこから空気を切り裂く衝撃波で弾き飛ばされてしまった。
「はうぅ~、強い……」
2人はまだ動けるものの、今までにない強大な力に歯噛みしており、響華丸の光の剣が道鏡の頭部に命中しても、ほんの数秒だけ焼けた切り傷が出来上がっただけに終わり、後はすぐさま修復してしまうだけ。
その間に芋虫が口からの粘液を響華丸に吐きかけると、その粘液は彼女の装甲を溶かし、肌を焼き焦がしていった。
「地獄の瘴気をそのまま叩き込んでいるというの……?でも、まだ!」
響華丸も全身の力を増幅させて粘液を吹き飛ばし、光弾を雨霰(あめあられ)のように道鏡の頭部へと降り注ぐ。
それらにより、頭蓋骨の傷が激しくなり、幾分か修復速度が落ちたのだが、道鏡は唸り声を上げながら首の付け根より無数の鋭い蔦を伸ばし、彼女の翼を刺し貫いた。
「!?しまった!」
「貴様はたかが鬼神……隠忍でしかない!そんな貴様が、地獄そのものとなったわしを倒そうなどとは、笑止千万!身の程を知るが良いわ!」
蔦が響華丸の翼を切り裂き、落ちてきた彼女を口からの炎で焼く。
炎が消えると、青白い血と傷で全身が染まっている響華丸が地面に叩きつけられた。
「ぐ……道鏡……!」
「憎め……憎むが良い!それこそ苦境にある者達の成すべき事!敵を倒す為の最大条件!かつて貴様が『向こう側』の天地丸を殺そうとした時のようになぁっ!」
3人がよろよろと立ち上がる様を嘲りながら、道鏡は黄色の目を妖しく輝かせていた。


あとがき

終盤となった訳ですが、それぞれの宿敵と決着を付けると同時にという今回は、量産型ONIとも言えるものを投入してみました。
道鏡がONIを人造で造れるという、今作独自設定を活かしてのものでありますが。(但し、ONIを人造で造れるというネタは幕末降臨伝ONIで既に出てます))
そして此処でようやっと、響華丸という名の由来、そして疑問となっていた謎の数々が解明されました。
絶体絶命のピンチに陥った響華丸達は、果たして地獄と一体化した道鏡を倒す事が出来るのか?
次回、最終話となります!
最後までのお付き合い、お願い致します!ONI零 ~虚ろより現れし仔よ~

『九 死闘 (完全版)』


地獄の中を突き進む響華丸達。
3人を襲って来るのは地獄の亡者だけでなく、その地獄を住処としている邪悪な化け物もいた。
獰猛さ、術の力、そして純粋な体力、何れも地上の優れた妖魔でも危ない程のもの。
だが相手が何であろうとも、響華丸達は歩みを、攻撃の手を止めない。
モタモタしている暇は無く、ひたすら前へ、前へと突き進んで行く。
そうして地獄の中の、中核へ続くであろう穴が開いた大広間に到達した3人だったが、穴の前には闇牙と影屍、そして響華丸が転身した姿と似たような男女の異形が数体立って待ち構えていた。
「これは……私を元にして作り上げた、正真正銘の人形……あるいは、私の元になった人形!」
睨む響華丸の言葉を正解として、影屍が説明に入る。
「如何にも。その名も響華傀儡(ゆらかくぐつ)!道鏡様が技術の全てを尽くして再現させたONIの力、身を以て味わうが良い!行け!」
影屍の号令と共に響華傀儡達は一斉に響華丸へ向かう。
響華丸も目で江と螢に合図を送り、2人もそれを受け取って戦闘態勢に入る。
「転身!流撃鱗士!!」
雄々しい激流を身に纏いつつ、蛟の化身たる妖魔の本性を見せた江が地面をまるで泳ぐかのように闇牙目掛けて駆ける。
「転身、燐天陽姫~」
小さな火の玉を無数展開させ、それが爆発して生じた炎から無垢な火鼠(ひねずみ)たる隠忍となった螢が飛び出し、影屍の方へ走る。
「転身、凶破媛子……!」
最後に青白い閃光と共に生気溢れる翼を広げた鬼神へと転身した響華丸が飛翔し、響華傀儡らを迎え撃ちに入った。
闇牙も転身して巨大な鬼となって諸手を広げ、影屍も鎌を手に、黒衣を大きく広げながら螢を待ち構える。
「ふん!此処は地獄!我らは今までとは比べ物にならぬ程の力を手にした!江、貴様を確実に叩きのめしてくれるわ!」
「此処で引導を渡してやらぁっ!力に溺れた奴の末路を行きやがれ、闇牙!」
鞭のようにうねる両腕を縦横無尽に振るいながら、闇牙と向き合う江。
「小娘よ、両親が首を長くして待っているぞ……!」
「ん~ん。此処にお父さんもお母さんも来てないよ、おじさん。ちゃんと螢の中にいるの。それから、もう悪い事は止めさせるね。地獄が広がったら、皆悲しんじゃうから」
爪を伸ばした螢は何時もと変わらぬ、怯えも怒りも憎しみも無い真顔で影屍を見詰める。
そして二局の戦いは、上空で響華丸の拳が響華傀儡らの拳とぶつかり合ったのを合図に始まった。

「さあ、行くぞ!」
言うが早いか、闇牙は地面を滑るように疾駆して江に接近する。
「?!」
突然間合いに入られた為に対応が遅れた江、その右側から闇牙の左拳が放たれた。
「がぁ……!」
不意を突かれた一撃で小石のように跳ね飛ばされた江は地面に2,3回ぶつかった所で地面を殴り、その勢いで体勢を立て直そうとする。
しかしその背後には何時の間にか闇牙が回り込んでおり、右の拳骨が江の頭頂部に向けて突き下ろされる。
「!危ねっ!」
寸での所で跳んで避けた江は鱗と水の弾丸を無数飛ばし、地面からも水の龍を呼び出して闇牙を吹き飛ばそうとする。
その攻撃を、闇牙は左腕を盾代わりに構えて防ぎながら前進した。
「ははは!地獄の亡者共を喰らった甲斐があったというものだ!この力ならば、この力ならば俺は最強の妖魔となれる!愛染紅妃が恐れたとされる地獄をも制した俺は、最強の鬼となれるのだ!!」
豪語と共に振るわれた豪腕が地獄の業火を呼び起こし、大地を切り裂き、守りに転じていた江の全身をも切り裂く。
「づぅっ!!」
「どうだ!?これでなら俺は斬地張を纏め上げ、天地丸の如き半妖をも捻り潰す事も出来る!貴様はその道となり果てるが道理だ、江!!」
全身を切り裂かれて血が噴き出す江を蹴り、そのまま地面に押し倒した闇牙はそこからもう一度右足を振り上げ、彼の顔面を砕こうとする。
だがその顔に見えるのは焦りでも戸惑いでも無く、純粋な闘志による怒りであった。
「本物の馬鹿だぜ、てめえはよぉっ!!」
「!?」
押し倒された江がギンと蛇のような目で睨み、両腕を闇牙の左足に巻き付かせて思い切り引っ張る。
それによって闇牙は体勢を崩して転び、跳ねた反動を返された状態で投げ飛ばされた。
江はそこで終わらず、一旦両腕から闇牙の左足を離した後で拳から伸びた爪、尻尾で突きの連撃を繰り出す。
「そういうもんで強くなれるかよ、生き物は……地獄の亡者を喰おうと、生きてる人間や獣を喰おうと、腹満たすだけだ。本当の意味で強くなるって事の意味を、てめえは履き違えてやがる!それを今示す!!」
断言と同時に鋭く拳と尻尾が闇牙の胴に突き刺さると、江は歯を食い縛って思い切り闇牙の巨体を持ち上げ、軽く上へ放る。
そして突き出した両手から、氷の飛礫や自身の鱗を伴った激流を放ち、彼を上空へ押しやった。
「何ぃっ!?」
鋼鉄の如き肉体に小さな傷が入り始めた事で、闇牙の顔から余裕が消え始め、激流が止んだ所でその巨体が重力に引かれ、そのまま地面に叩きつけられる。
「強さってのはな、見せびらかすもんじゃねえ。生きてやるって気持ちを示す為のものだ。上に立たなくとも、あたしは人間の中で生きて行ける。隠忍は、生きる事を、誰かを生かす事を目的に生まれたんだ。例え人間や妖魔に否定されたとしてもな!」
「くく……生きる事を目的に、だと?司狼丸もそうだったな。だが結果はどうだ?奴は敵を押し潰す力を持たなかった!だから殺されたのだ!その事実を知った以上、俺が信じられるのは絶対的な力のみ!如何なる反逆者を、血も涙も流す事無く捻り潰す力こそが絶対だ!」
江の言葉にそう抗いながら、闇牙は起き上がって豪腕からの拳の突きを繰り出す。
それを江は受け流し、時折両腕と尻尾を鞭のように振って牽制を掛ける。
「力が全部な訳じゃあない。そんな力ってのは、決まって退魔師にぶっ潰されるのさ。それが時空童子の、司狼丸の散った意味!だがあいつは、その中で本当に取り戻したいものを見つけた!力より大切なものをな!」
両者の攻撃は相殺されず、そのまま相手を掠めて切り傷を生んだ。
「腕っ節の力で、最強になれる訳がねぇんだよ!」
その撃ち合いの中で、速さと鋭さにおいて勝る江が姿勢を低くして駆け、しなる両腕を振り上げる事で闇牙の脇腹を切り裂いた。
「ぐあぁぁぁっ!!貴様……貴様貴様ぁぁっ!!」
大きく仰け反った闇牙も両手で江の腕を掴み、鋭い角を打ち付けるように頭突きを何度も叩き込む。
「うぅっ!」
たった一撃で額が切れて血が噴き出し、次なる一撃が傷口を広げ、脳を揺さぶって江の視界を大きく狂わせる。
「これで、止めだぁぁっ!!」
江の目が虚ろになりかけたのを見て、闇牙は彼の両腕を放し、自分は両拳を組んで江の脳天に思い切り振り下ろす。
その鉄鎚をも凌ぐ一撃は触れただけで江の顔面が瞬時に地面に叩きつけられ、それと同時に血が地面を真っ赤に染め上げた。
手応えあり、これで完全に仕留めた。
闇牙はそう信じて疑わず、薄ら笑いを浮かべていた。
風を斬り、肉を穿つ音と共に自身の胴に激痛を感じるまでは。
「っ!?」
俯せになっていた江の頭を見下ろしていたほんの一瞬だけ、闇牙の視界に槍のような細長いものが通り過ぎた。
それは江の尻尾であり、尻尾は闇牙の胴をしっかりと貫いていたのだ。
「何処までも、貴様という男はぁっ!!」
胴から背中にかけて尻尾によって刺し貫かれながらも、闇牙は激しい怒りの声を上げながら尻尾を掴んで自分の胴から引き抜き、そこから思い切り、もう一度彼を地面に叩きつける。
が、江は両手を地面に突き立てた事で激突を免れており、尻尾の力で闇牙を持ち上げた。
「なっ…!?」
まさか尻尾で巨体を持ち上げるとは思わなかったか、闇牙は江の力に驚き、しかしそれを認めまいと両拳で左右から江の身体を挟み撃ちにする。
「ぐぶぅっ……!」
両肩、そして両脇が悲鳴を上げ、砕けた鱗から血が噴き出、口からも相応の量の血を吐く江だったが、足はしっかりと踏ん張っており、そのまま尻尾で闇牙を投げ飛ばしてから身体を起こして構え直す。
「あたしは……てめえを倒す!倒さないで、あたしは今までの事を清算出来そうにないって事に気づいたからな!」
江が全身の筋肉を収縮させる事で鱗も引き締まり、傷口が閉ざされて出血が抑えられていく。
そして、闇牙が体勢を立て直し切るよりも早く駆け出し、激流を纏った爪と拳、そして尻尾による連続攻撃に入った。
「斬地張を、内側から変えようとしなかった事!時空童子になった時の司狼丸を助けようとしなかった事!だが、そこに負い目を感じている訳じゃあねえ!」
言葉を織り交ぜつつ、江の猛攻は続く。
「外側から見えないものもあれば、内側から見えないものだってある。そして司狼丸が否定された事の意味、そこにも、哀しみの涙があるって事だ!涙に応えるってのが、親を知らなくても戦い続ける、あたしの意義だ!」
闇牙も強靭な胸部で江の攻撃を受けながらも、空いた両手を突き出して反撃に入る。
「黙れぇっ!涙なぞで力がつくはずがない!涙は枷でしかない!涙を流せば奇跡は起きるか?司狼丸が泣いた事で奇跡は、ヤツにとっての輝きはあったか?無かったであろう?それが現実だ!そしてそれを学んだ俺は、純粋に力を求めてこそ妖魔の生き方と理解したのだ!」
闇牙の拳、その一撃一撃は下手な大斧よりも鋭く、重い。
その拳により、江は鱗を切り裂かれ、全身を膾(なます)切りにされかける。
だが、切り傷は少しずつ閉ざされ、彼の真っ赤な瞳は炎のように輝きを増していた。
「だからこそ、応えるんだろうがよぉっ!!」
怒号と共に放たれた江の体当たりが炸裂し、剣のように外側へと向けられた鱗が無数、闇牙の身体に突き刺さる。
「う、おぉっ……馬鹿な!あの頃はそこらの妖魔が毛の生えた程度の貴様が……」
鱗が深く突き刺さった事で、傷が深くなった闇牙は、段々と目の前の事実を疑い始めた。
「お、俺が……何故だ!?俺の身体は……最強じゃ、なかったのか!?」
己の身に降りかかる、死という名の運命。
今まで数多くの他者に与え続けて来たものを、自分が受ける等と思わなかった闇牙は、目の前で血塗れになりながらも妖魔の形相で、しかし人間の光り輝く瞳で睨む江を見る事しか出来なかった。
「……最強な訳ねぇだろ?喰らう事しか知らねぇ妖魔が、鍛える事、支える事、傷つく事を学ばない限り上に登れる訳がねぇ。それが、あたしとてめえの差だったのさ」
戦意、闘志が弱まった闇牙に対し、江は止めとばかりに尻尾を瞬時に、心臓目掛けて突き出す。
尻尾はしっかりと闇牙の左胸に突き刺さり、しばらくしてそこから引き抜かれる寸前に、弧を描いて内側から彼の身体を切り裂く。
それによって闇牙の胴から左胸にかけて真紅の三日月が描かれ、闇牙の口からは血が濁流のように吐き出される。
その血が吐き終わった所で、巨体は大きく後ろへと倒れ、闇牙は白目を剥いて口を大きく開けたまま、完全に絶命した。
「……闇牙、斬地張で学び方を間違えたのが、てめえの不幸だったって事さ……それだけを呪いな。個人を恨んだ所で、何の解決にもなりゃしねえよ」
出血と疲労で息を切らしていた江は、そう呟きながら血を拭い、闇牙の亡骸に背を向けて歩き出した。

「行くよ」
先手を取った螢は、戦士には不似合いとも取れる、両手を横に広げてトコトコ走るという子供らしい動きで影屍に近づきつつ、両手を振って火の玉を飛ばす。
影屍もゆっくりと前へ進みながら鎌を両手に持って火の玉を切り払い、彼女との間合いが狭まった所で横薙ぎを繰り出す。
「よっと」
羽毛のように軽い身のこなしで鎌を避けた螢は自分の足の裏辺りに火の玉を作り、それを爆発させる事で自身を前に押し出して頭突きを繰り出す。
その奇抜な攻撃で影屍は眉間に一撃をもらったが、数歩下がった所で黒衣を斧の形に変えて彼女を叩き落とす。
「更に強まったわしの力、受けて見よ!」
「はいっ」
髑髏(どくろ)の目から黒紫の光の矢を放つ影屍に対し、地面に手を突いた螢はそこから後方へ跳ね起きるような回転をして矢をかわし、ある程度離れた所で左右に飛び移りながら再び彼に接近し、迫る鎌を左手の手刀で受け流して右足の蹴りで黒衣を切り裂く。
だが、命中はしているものの、黒衣が切り裂かれて出来た穴からは黒紫色の靄(もや)が発生するだけに終わった。
「あれ?」
「カカカ、わしは生粋の地獄の者。死者の魂を黄泉へ送るのが本来の死神の在り方だが……」
螢がきょとんとする中、影屍はその靄を触手に変えて彼女を絡め取り、地面に叩きつけながら続ける。
「わしはそれとは違い、道鏡様に忠誠を誓う事で死者を直接地獄へ送り届けるが役目。閻魔(えんま)の裁き抜きでの地獄送りで生じる亡者の怨嗟と悲嘆はまさに道鏡様の滋養(じよう)となる……」
「うにゅぅ……」
顔面から激突した螢は鼻を摩りつつ起き上がるが、影屍の左手から放たれた冷気の飛礫を避けながらも、何かに気づいたらしく声を掛ける。
「もしかして、お母さんを殺そうとした退魔師さん?」
「御名答。わしは隠忍という偽善者を憎み、故にお前の母親を殺そうとしたのだが……それをお前の父親が阻んだおかげで、今のお前が成り立ってしまった。わしを蹴落としたあの退魔師、その血族、隠忍そのものを滅ぼしたい、その願いに力を貸してくれたのが道鏡様だったのじゃ」
「……凄く、やっちゃいけない事だよ、それ」
怒る事が出来ない為に、真顔でそう言い放つ螢に対し、影屍も妖しく輝く眼光をそのままにして返す。
「弱肉強食こそ世の常。手を取り合った所で、すぐに殺し合いへと変わる。それを否定しているのが隠忍の一族……わしはそれが許せん!食うか食われるか、それを破るようなやり方こそ、世の常に背く行為じゃぞ」
「おじさんの決めた事は、皆を悲しませるだけだよ。片方が喜んでも、楽しんでも、もう片方が楽しめなかったら、意味が無い。だから、螢はおじさんをやっつけるの。幸せを、皆の幸せを壊させない為に」
ギュッと握り締めた拳に炎が纏われ、螢は疾駆した上でそれを影屍の顔面に叩き込む。
その直撃はしっかりと入っていたのか、影屍は大きく吹き飛ばされて転倒した。
「ぬっ……おのれ小娘!何処までも世の中を汚すつもりか?平和等、すぐに崩れ落ちるものである事が何故分からん?争い合うが人の運命ならば、平和等不要のはず!」
すぐに起き上がった影屍の放つ影の触手は槍のように無数伸び、追撃しようとする螢の足を止めつつ、先端からの雷撃が彼女を打ち据える。
「うぅっ……」
「五行軍の崩壊も、地獄門の解放も、時空童子の覚醒、そしてその時空童子の封印も、全てが隠忍に起因しているではないか!そう、平和を望む者の為に他の者はそれを異質とし、否定する……隠忍は被害者面した加害者なのじゃよ!それで十分じゃ。わしがお前の母を殺そうとした理由はなぁっ!だが実際に殺したのはお前自身じゃ、小娘!その罪の重さを味わうが良い!」
雷撃で動きが鈍った螢に、影屍の触手が絡みつき、手足に先端が突き刺さると、そこから少しずつ、淡い橙色の光が吸われていく。
他ならない、彼女の力だ。
「あ……力が、抜けちゃってる……ん~……」
まるで眠気に襲われたかのような脱力感に、転身が解けてしまった螢はそのまま触手からの電撃を受け、影屍の鎌が首に宛てがわれる。
「っ!」
「如何に泣かず、怒らず、怯まぬお前でも、殺される恐怖には敵うまい。司狼丸も人の為と言いながら、舌の根が乾かぬ内に己の命の危機で力を覚醒させたのじゃからな……汗が良く見えるわい」
影屍の言うように、螢の顔には冷や汗が幾筋も流れており、その全身も小刻みに震えている。
「(ああ……これが、”怖い”って感情……涙は流れないけど、動けないってこの事なんだ……)」
自分の身に起きている異変に、螢の閉じた口は歯をカチカチ鳴らしている。
それが影屍にとっては心地良く聞こえたのか、鎌から左手を放し、骸骨のもの同然なその手の爪でゆっくりと螢の右頬を切り裂く。
「痛っ……」
「じっくり、恐怖を受けるが良い。そして完全にお前の心が恐怖で凍りついたら、その凍った魂をしっかりと狩り取って道鏡様への供物(くもつ)としてくれよう……」
震えは大きく、全く動く気配が無い。
それは間違い無く、この少女を容易く殺せるという事だ。
何より自分の影の触手は、転身の解けた彼女から更に法力を奪っているのだから。
影屍はそう確信すると、少しずつ、少しずつ鎌の刃を螢の首筋に近づけた。
迫り来る死、それに対する恐怖に、螢は段々と震えが大きくなるのを感じていた。
「(皆、こうして怖くて、動けないまま死んじゃったんだね……お母さんも、この震えで動けなくなって、螢に殺してもらう事でしか解決出来なかったんだ……でも、螢は……)」
眉間に一度も皺が寄った事が無かった螢。
今も全く、眉間は歪んだりしない。
それが自分の生まれつきである事、即ち怒りと悲しみを抱けないからである事は分かっている。
だから、彼女は前へ進む事を、戦う事を選んだのだと認識していた。
その気持ちは今も変わっておらず、それを足掛かりに彼女は目を閉じて小さく深呼吸する。
「(螢は……死なないよ。恐怖は、要らないものなんかじゃない。だって、それが無かったら響華丸は強くなれなかったもん……だから……)」
先程まで大きくなっていた身体の震えが治まり、脱力感はあるのに意識が遠のく気配が無い。
それを感じていた螢はパッチリと目を開き、自分の心の奥深くにある光を強めた。
「……おじさんに負ける訳にも、殺される訳にも行かないよ……!」
「?!」
強まった光と共に放たれた言葉が切っ掛けとなり、螢はそれまで冷たくなっていた自分の身体が温もりを取り戻し、身動きが取れるようになっていく。
それを確かめるや否や、彼女は左手で影屍の鎌を掴み取り、彼の顔面に向けて右手を突き出した。
同時の行動で、螢の左手から血が噴き出し、影屍の目の部分と額に鉄矢が突き刺さる。
「う、うおあぁぁ!?」
奇襲を喰らった影屍が思わず両手で顔を押さえる中、螢は飛翔して鉄矢を彼の足元に、陣の要となるように撃ち込んで行く。
「おじさんの言ってた事だけど……皆ね、一歩ずつ、一歩ずつ間違いを理解して歩いているんだよ。崩れても、また組み立てて、少しず丈夫にしていけば良いから……だから、螢は何度でも立ち上がれるよ。この暖い心を伝える為に、皆を笑顔にする為に、ね」
陣が完成すると、地面に不思議な術式の文字が描かれ、影屍の動きを封じる。
「こ、この結界は正しく奴の……!振り解けぬ!」
「皆の笑顔を作るのは難しい……だから、頑張るの。そうした難しい事も乗り越えてこそ、隠忍の未来を切り開く存在だから……」
影屍の動きが封じられた中、螢は印を素早く組み、術を発動させた。
「……破邪浄炎(はじゃじょうえん)!」
何時にない凛然とした声と共に、陣から炎が上がり、影屍を瞬時に飲み込む。
「ぎゃあぁ~~!!」
その炎に飲まれた影屍は黒衣を焼かれ、露になった骸骨の身体は下から見る見る内に砂のように崩れ落ちていく。
だがその中から頭蓋骨(ずがいこつ)を頭部としている悪霊の如き姿となった影屍が現れ、炎を打ち消しながら螢に急接近する。
「ふわっ!?」
思わぬ接近に対応が遅れた螢はそのまま影屍に首を掴まれ、締め付けられる。
「わしは人間でも妖魔でも無い、まして地獄の亡者でも無い!古より現れし、死の悪霊じゃ!お前は直々にこのわしの手で魂を抉り出してくれる!」
悪霊の両手が、霊体でありながらも少しずつ螢の首に食い込み、そこから邪気を流し込んでいく。
螢はその度に痙攣(けいれん)を起こし、目が虚ろになりかけ、口からうっすらと血が流れ出る。
「……螢は、頑張れるよ……うん!」
傍から見て、誰に対してかは分からない言葉と共に螢の瞳に光が戻り、瞬時に彼女の両手が影屍の手首を掴む。
すると掴んだ部分から光が溢れ出し、影屍の全身へと広がったその光は内側から彼を焼き始めた。
「な、何だお前は!?痛みを、苦しみを感じているはずなのに……」
驚く影屍に対し、螢は転身して全身の力を高め、自分の首から影屍の手を引き剥がしながら、何時に無い凛とした声で答える。
「だからだよ。痛みを、苦しみを感じられるから、螢は死ぬって事の意味を、殺すって事の意味を理解出来た。何より、生きるって事が、幸せでいられる事がどれだけ大切なのかが分かるの。それを、おじさんに踏み躙られる訳には行かない……!だから、螢は戦う!頑張る!勝つ!!」
太陽の輝きのような、螢の全身の輝きが影屍を照らし、段々と彼を消滅させていく。
「おお……あああ……あぎゃあぁ~~!!」
消滅と同時に高熱が入ったか、影屍は絶叫してもがき苦しむ。
それを見た螢は右拳を強く握り締めると、すぐさま拳を影屍の胸だった部分に突き刺す。
その一撃は光を放ち、影屍の身体の消滅が一層速まった。
「隠忍が……救世主となっては……この世界に認められては……なら……ん……の……じゃ……」
それが影屍最期の言葉であり、言い終わってしばらくしてから頭蓋骨部分が完全に消滅した。
「ん~ん。存在する事を受け入れないと、誰も、自分を含めた誰も好きになれないよ……だから、次に生まれて来る時は、もっと心を広く、ね」
影屍の成仏を願わんばかりに合掌した螢。
目頭が熱くなったり、涙が溢れるという事は無く、ただ自分が成すべき事を成す誓いと共に。

赤黒い翼を羽ばたかせて集団で来襲する響華傀儡は手にした爪で響華丸に斬り掛かる。
それを響華丸は右手の剣で切り払いつつ、響華傀儡に一撃ずつ斬撃を浴びせ、擦れ違った所で光弾を叩き込んでいく。
そうした攻撃でも落ちずに迫って来るものへは左拳を突き刺し、その衝撃を後方へと及ばせる事で撃ち貫いた。
同じ強度を持つ鬼神と言えど、響華丸の方が純粋に攻撃力が上である結果だ。
ならばと、残った響華傀儡も甲冑から伸びる鋭い爪を手裏剣のように飛ばし、拳から光の矢を無数放つ。
地獄の赤黒い空を更に禍々しく彩る黒紫の光の矢はまるで猛禽(もうきん)の如く響華丸を追うが、彼女も慌てる事無く自身の周囲に光弾を数個展開させ、それらで矢を撃ち落とし、接近する響華傀儡を迎え撃つ。
「消耗を狙っているようだけれど……手間取る訳に行かないわ」
距離を詰め、鋭い爪を伸ばして来た響華傀儡。
彼等の爪が自分に触れるか否か、その刹那を見計らい、響華丸は上空へ飛翔する。
その結果、響華傀儡らは一箇所で衝突し合い、互いに切り裂き合う格好になった。
これが響華丸の狙いであり、彼女は翼を広げて加速に入ると、分身するように動いて左手から青白い光の槍を何本も放つ。
まるで全方位からの攻撃を思わせるそれは確実に響華傀儡達の逃げ場を奪い、命中と同時に大爆発を起こす。
が、その爆風の中から、禍々しい鎧を身に纏い、一回り大きくなった響華傀儡が姿を見せ、響華丸に向けて突進を繰り出した。
「!合体して力を高めた、か」
突進を回避するも、軌道を変えて戻ってきた響華傀儡の右拳を防ぎ切れず、押し飛ばされる響華丸。
装甲が僅かに傷ついていた彼女は続けて放たれる剛拳を紙一重で回避するが、掠っただけで装甲に小さな切り傷が入り、肌にもうっすらと青白い筋が入る。
直撃すれば、彼女の身を纏う装甲が粉々に砕けて大痛手を被る事は火を見るより明らかだ。
だがそれへの警戒はほんの僅かで済んでいたのか、響華丸は自分からその拳を喰らいに向かった。
「っ!!」
肉を打つ音と共に激痛が全身を貫くのを感じた響華丸。
一瞬目が泳いだ彼女は、即座に響華傀儡の右拳を右手で掴み、追撃の左拳を自分の右拳で合わせるように打つ。
相討ちになるかと思われた彼女の拳は僅かに装甲が砕けたのに対し、響華傀儡の方は拳だけでなく、左腕全体の装甲が砕け、露になった部分にも無数の傷が刻まれ、青白い血が吹き出る。
「はぁぁ……!!」
静かな、しかし熱い裂帛の気合と共に響華丸は瞬時に左右の拳の連打を放って響華傀儡の装甲を砕き、装甲が砕けた所に光の剣を連続で突き刺す。
出鱈目ではなく、まるで北斗七星を描くかのような突きなのだが、八撃目は輔星(ほせい)に当たる部分を思い切り刺し貫き、そこから抉るような斬撃を放った。
「死の星の一撃、これで滅しなさい」
言葉と共に光の剣が彼女の左手を鞘とするかのように納められ、鍔鳴りに似た音と共に響華傀儡の身体が二つに両断、爆発する。
爆発時に散った肉片がモゾモゾと動き出して再生するかに見えたが、その傷口部分は青白い光で焼かれていく内に全て光の粒子となって消滅し、響華傀儡は二度と甦る事は無くなる。
「心を持たずして、鬼神の真の力は引き出せないわ……」
消え去った響華傀儡に向けてそう言い放ち、響華丸は江と螢が無事であるのを確認して地上へ降りた。

3人は合流し、傷の手当を行なった所で中核への穴の前に立つ。
壁は今までの道と同様に生き物のような脈動をしており、地獄の瘴気の影響でか、赤黒い輝きが明滅している。
「ん~……凄い邪悪な気……このまま普通に飛び込んだら力が全部吸い取られちゃうみたいだね」
「地獄のど真ん中だからな。鈴鹿がビビるくらいってのが、此処からでも良く分かるぜ」
そう言いながら大穴を、その奥深くを見詰める江の全身は僅かに震えており、顔から幾筋もの冷や汗が流れている。
螢も呼吸が少し荒くなっており、瘴気に負けまいと唇を噛み締めていた。
「……掴まってて。私の展開する結界なら、あの瘴気の通路を通り抜けられるはずよ」
言いながら、響華丸は清い青の結界を球状に張り、手を繋いだ2人をその内側に入れると、少し浮遊して穴の中へと入った。
穴の壁からは特に何も仕掛けて来る様子は無いが、赤黒い明滅は絶えず続いており、入口が小さくなって見えなくなっても、出口は一向に見えない。
それでも3人は手を繋いだまま降下し、下をジッと見詰め続ける。
数分して、壁の赤黒い明滅が激しくなり、緑色やら黄色、紫色と壁が妖しく輝くようになった所で、出口たる穴が見え始めた。
その出口を通り抜けると、3人は大きく開けた空間に降り立った。

血のような赤一色の床、そして赤紫色と青の斑な空間。
それは上のものと変わりは無かったのだが、今し方響華丸達が潜って来た穴からは青白い霊魂が無数出て来ており、それがある方向へと集まって行く。
その方向に道鏡は居た。
胡座を掻き、杖を横に突き立てた状態で諸手を掲げ、霊魂を自分の方へ引き寄せながら。
道鏡に吸い込まれた霊魂は彼の諸手が下ろされると同時に赤黒い色に変わって先程通った穴へと入っていく。
即ち、道鏡の力を受けた霊魂が地獄門へ出ているのだ。
そして、その霊魂の方へ邪気が集中していたのだろう、江も螢も、響華丸と繋いでいた手を放しても、脱力感に襲われる事無く身構えた。
「……道鏡」
響華丸の声に、道鏡は手を止めて立ち上がり、彼女を睨む。
開かれた目は真っ白だが、苛立ちが見えていた。
「……響華丸……全てはお前が仕損じた所為じゃ。わしは、『向こう側』への復讐の為に手を尽くし、力を尽くした。司狼丸の持つ時空を操る力、その存在を利用する事での奴の心の闇の増幅…それらにより、わしは高位の存在に進化するはずじゃった……それをお前は、完全にぶち壊した……!」
突き出された杖からはまだ攻撃の光は無いものの、道鏡の身体からは禍々しく赤黒い邪気が溢れ出ている。
彼の怒りを示すかのように、炎のように揺らめいて。
「……あんた、本当は何がしたいんだ?何の為に、『向こう側』で何をやらかしたんだ?」
江が単刀直入に問えば、道鏡も突き出した杖を戻しつつ答える。
「簡単な事じゃ。世界を我が手に納める為、数多の存在を利用した。じゃがそれを阻んだのが隠忍の一族。隠忍の中でも鬼神の血族とされている者は『向こう側』では救世主とされていた。ならば、彼等が救世主とされず滅びるようにしなければならん。それを、この世界にたどり着いた折に画策した。あちこちに周り、隠忍が半妖である事、妖魔からすれば裏切り者である事を伝え、絶滅出来るように、な……」
「でも、絶滅まではさせなかったんだね?司狼丸の力を見た時に……」
道鏡からすれば隠忍は邪魔な存在、最大の怨敵。
しかし今日に至るまで自分達が生きているという事は……
その鍵が司狼丸にありと、螢は改めて認識していた。
「本来ならば泳がせた上で一網打尽にするはずじゃった。しかし時空を操る力を、神ですら手にしていない力を目の当たりにした時、わしはそれの全貌を明らかにした上で手に入れる事に決めたのじゃ。半妖にあれほどの力があるとは眉唾(まゆつば)ものではあったがな」
「そして、全てが明らかになった事で、後は力を回収した上で『向こう側』を破壊する予定だったのね……この世界と『向こう側』の隠忍を根絶やしにした上で」
その一環として自分の存在があるとも、響華丸は含みを抱き、道鏡もその通りと首を縦に振る。
「そうじゃ。さて、響華丸よ……何故お前にその名が与えられたか、分かるか?」
不意にそう投げ掛けられた問いに、響華丸は無言で首を小さく横に振る。
間違い無く目の前にいる道鏡こそが、自分を造り、名前を与えた存在、即ち親に相当する者。
だが、そうした事を深く考える理由は無かったのだ。
そうした反応を受けて、道鏡は静かに語り始めた。
「ならばお前達の滅びの前に話すとしよう。司狼丸の力を見てから、わしは2つの計画を立てた。時空を遡り、歴史を書き換える時響(ときゆら)の計画、これは時空童子の力を手にする事が絶対条件じゃった。そしてもう一方は並行世界を渡り、わしの居た世界への復讐を行いつつ、外部からの介入を未然に防ぐという華盾(かじゅん)の計画。それを果たす為の、最大の手駒としてわしが造り上げたのが、隠忍を模した人型の武器、響華傀儡……そう、響華丸よ、お前が倒してきたものじゃ」
その説明に江と螢も納得していたが、江は少し驚いていた。
「武器だと……!?それも人間の形をした……」
「じゃあ、そのお人形さんには本来、時間・時空を操る力と、並行世界を移動する力、つまり司狼丸と伊月さんの力が組み込まれるはずだったって事なんだね……」
「如何にも。伊月が死んだあの日、ヤツの血を手にし、効力を調べる中でその響華傀儡が出来たのだが……男か女か、赤子の状態で生み出すか、ある程度成熟した形で造るか……それらの試行錯誤の結果、完成体として出来上がったのは響華丸、お前だけだった。力も、生命力も、肉体や精神の安定性も、お前以外にわしが満足したものは無かった。後にも先にもな。お前だけが並行世界へ渡る力を開花出来たのじゃ。他は戦う為の武器、人形でしかない、文字通りの傀儡じゃった」
響華丸は道鏡の言葉をしっかりと飲み込み、しかし動揺する事無く質問を投げかける。
根本的な疑問、そしてこうした事態になった、最大の原因を知る為の問いを…
「……私を『向こう側』へ送った時、何故私一人だけだったの?私を導き手として傀儡を多く送り込めば、あなたの目論見通りになっていたはずよ」
「良き問いだ……しかし答えは実に単純じゃよ。響華丸、お前は一人で事を済まさなければならなかったのじゃ。忌々しい隠忍共を一人で抹殺してこそ、真なる復讐の完遂となっていた。仮に数で攻めたとしても、お前と傀儡の差は天と地以上のものである故に、奴等からすれば傀儡など数に入らぬ。この地獄では、地獄特有の瘴気があるからこそ、傀儡はようやっと隠忍に負けぬ力を手に出来たのじゃ。そしてお前こそは、『向こう側』の隠忍の中で主力たる男達、奴等を抹殺し得るものにして響華傀儡の完成体、即ち奴等を超えし我が最高傑作……故に響華丸と名付けたのだよ……!」
説明を受けて、螢も今まで抱えていた疑問が此処でしっかりと解決し、意味を理解出来た。
「そっか。普通、後ろに『丸』って名前が付いている人は男性だもんね」
「何にしても、道鏡が私を買い被り過ぎていた事に変わりは無いわ。力の有り方を間違えたその時点で、ね」
冷静ながらも、鋭く切り込むような響華丸の言葉に、道鏡は歯軋りをしながら邪気を解放させ始めた。
「……時響と華盾、わしの復讐を果たし、栄光を手にする為の要となっていたこれらが失敗してしまった以上、わしは全てが恐れる手段を取らなければならん。そう、地獄との同化こそ、わしの最後の切り札!」
宣言と共に、捻くれた杖が再び地面に突き立てられると、道鏡の足元の地面が無数の触手となって彼の身体を取り込み、そのまま沈んでいく。
その束の間、彼が立っていた場所とその左右が大きく隆起し、赤で染まった三つ目の髑髏の頭部、同じ色の骸骨の手という巨大な化け物が姿を見せた。
頭頂部からは寄生虫のように大きな芋虫が突き出て、無数の牙と触手で覆われた口からは毒々しい緑色の粘液を垂らしている。
芋虫の額にある第三の目には道鏡の額に描かれていた梵字が浮かび上がっており、その化け物こそが地獄と一体化した道鏡である事を断定させていた。
「おおお……これだ……よもや地獄にこれほどの力があるとは…フハハハハ!ハーハハハハ!最初からこうすれば、わしは全てを意のままに出来たのじゃな!アーッハッハッハッハッハッハッ!!」
若返った声で笑う道鏡は髑髏に据えられた黄色い眼球で響華丸達を睨みつける。
響華丸達もその眼光に臆する事無く、臨戦態勢を取った。
「世の中は意のままになんないのが普通だ。ガキじゃああるまいし、てめえの都合を世の中に押し付けんじゃねぇっ!苛められる覚悟が、踏み潰される覚悟があるんなら、あたしも同じだ!てめえをその腐った野心ごと、叩き潰す!」
豪雨が降り注ぐかの如く、川が氾濫(はんらん)するかの如く怒号を放った江は攻撃用の鱗を逆立たせ、尻尾の先端も槍のように鋭く尖らせる。
「幸せは、あなた一人だけのものにしたらダメだよ。それと、殺し合いと奪い合いに、本物の幸せは無い。だから、螢は道鏡、あなたを止めるね。本物の幸せを、この世と地獄、どっちにも届ける為に」
あくまで陽だまりのような温もりを絶やさず、闇の中に消える事のない明るさを保つ螢も身体中を巡る力を強め、それを炎として背中に背負う。
「……あなたは、どうやら完全に打ち倒されない限り、止まらないようね。だったら、私も真っ直ぐ貫くわ。信じた道、手にした想いを……!」
地獄の瘴気を完全に浄化せんと、己の信念、友との誓い、散った者達の願いを光に変え、心と身体を輝かせる響華丸はその光を瞳、角、拳、そして翼に集約させて浮遊する。
「ほざけ、半妖!!」
3人の様子を不快に感じた道鏡はそう言い放つと同時に、泥を掻き分ける要領で両手を地面と同化させたまま動かし、掌から黒い雷撃を放った。
「来た……!」
「おわっ!?」
「わわっと」
咄嗟に上へ飛んだ3人は雷撃を避けると、江と螢は道鏡の手に向けてそれぞれ激流と炎を叩き込む。
2人の攻撃が両手を押さえ込む中、響華丸は道鏡の頭部が放つ光線を避けつつ、自分も光線で反撃に転じる。
しかし攻撃が命中して髑髏に傷を付けても、その傷は見る見る内に塞がり、開かれた口から赤黒い炎が吐き出されて響華丸の腕を掠めた。
「くっ……何て邪気……!掠っただけで……」
強烈な痛みと同時に、力を吸い取られる感覚を覚えた響華丸は改めて道鏡本体を睨み、光線と炎を掻い潜りながら斬撃を放つ。
その一方で江は道鏡の右手の指を腕で絡め取るが、道鏡の力は闇牙が赤子のように思える程のものであり、魚釣りの要領で軽く江を上へ放り投げ、掌からの雷撃で彼を焼き焦がす。
「うがぁっ!」
螢も道鏡の左の五指から放たれる光線を避けながら近づいていたのだが、突き出した右足が道鏡の左掌から生じた結界で弾かれ、そこから空気を切り裂く衝撃波で弾き飛ばされてしまった。
「はうぅ~、強い……」
2人はまだ動けるものの、今までにない強大な力に歯噛みしており、響華丸の光の剣が道鏡の頭部に命中しても、ほんの数秒だけ焼けた切り傷が出来上がっただけに終わり、後はすぐさま修復してしまうだけ。
その間に芋虫が口からの粘液を響華丸に吐きかけると、その粘液は彼女の装甲を溶かし、肌を焼き焦がしていった。
「地獄の瘴気をそのまま叩き込んでいるというの……?でも、まだ!」
響華丸も全身の力を増幅させて粘液を吹き飛ばし、光弾を雨霰(あめあられ)のように道鏡の頭部へと降り注ぐ。
それらにより、頭蓋骨の傷が激しくなり、幾分か修復速度が落ちたのだが、道鏡は唸り声を上げながら首の付け根より無数の鋭い蔦を伸ばし、彼女の翼を刺し貫いた。
「!?しまった!」
「貴様はたかが鬼神……隠忍でしかない!そんな貴様が、地獄そのものとなったわしを倒そうなどとは、笑止千万!身の程を知るが良いわ!」
蔦が響華丸の翼を切り裂き、落ちてきた彼女を口からの炎で焼く。
炎が消えると、青白い血と傷で全身が染まっている響華丸が地面に叩きつけられた。
「ぐ……道鏡……!」
「憎め……憎むが良い!それこそ苦境にある者達の成すべき事!敵を倒す為の最大条件!かつて貴様が『向こう側』の天地丸を殺そうとした時のようになぁっ!」
3人がよろよろと立ち上がる様を嘲りながら、道鏡は黄色の目を妖しく輝かせていた。


あとがき

終盤となった訳ですが、それぞれの宿敵と決着を付けると同時にという今回は、量産型ONIとも言えるものを投入してみました。
道鏡がONIを人造で造れるという、今作独自設定を活かしてのものでありますが。(但し、ONIを人造で造れるというネタは幕末降臨伝ONIで既に出てます))
そして此処でようやっと、響華丸という名の由来、そして疑問となっていた謎の数々が解明されました。
絶体絶命のピンチに陥った響華丸達は、果たして地獄と一体化した道鏡を倒す事が出来るのか?
次回、最終話となります!
最後までのお付き合い、お願い致します!ONI零 ~虚ろより現れし仔よ~

『九 死闘 (完全版)』


地獄の中を突き進む響華丸達。
3人を襲って来るのは地獄の亡者だけでなく、その地獄を住処としている邪悪な化け物もいた。
獰猛さ、術の力、そして純粋な体力、何れも地上の優れた妖魔でも危ない程のもの。
だが相手が何であろうとも、響華丸達は歩みを、攻撃の手を止めない。
モタモタしている暇は無く、ひたすら前へ、前へと突き進んで行く。
そうして地獄の中の、中核へ続くであろう穴が開いた大広間に到達した3人だったが、穴の前には闇牙と影屍、そして響華丸が転身した姿と似たような男女の異形が数体立って待ち構えていた。
「これは……私を元にして作り上げた、正真正銘の人形……あるいは、私の元になった人形!」
睨む響華丸の言葉を正解として、影屍が説明に入る。
「如何にも。その名も響華傀儡(ゆらかくぐつ)!道鏡様が技術の全てを尽くして再現させたONIの力、身を以て味わうが良い!行け!」
影屍の号令と共に響華傀儡達は一斉に響華丸へ向かう。
響華丸も目で江と螢に合図を送り、2人もそれを受け取って戦闘態勢に入る。
「転身!流撃鱗士!!」
雄々しい激流を身に纏いつつ、蛟の化身たる妖魔の本性を見せた江が地面をまるで泳ぐかのように闇牙目掛けて駆ける。
「転身、燐天陽姫~」
小さな火の玉を無数展開させ、それが爆発して生じた炎から無垢な火鼠(ひねずみ)たる隠忍となった螢が飛び出し、影屍の方へ走る。
「転身、凶破媛子……!」
最後に青白い閃光と共に生気溢れる翼を広げた鬼神へと転身した響華丸が飛翔し、響華傀儡らを迎え撃ちに入った。
闇牙も転身して巨大な鬼となって諸手を広げ、影屍も鎌を手に、黒衣を大きく広げながら螢を待ち構える。
「ふん!此処は地獄!我らは今までとは比べ物にならぬ程の力を手にした!江、貴様を確実に叩きのめしてくれるわ!」
「此処で引導を渡してやらぁっ!力に溺れた奴の末路を行きやがれ、闇牙!」
鞭のようにうねる両腕を縦横無尽に振るいながら、闇牙と向き合う江。
「小娘よ、両親が首を長くして待っているぞ……!」
「ん~ん。此処にお父さんもお母さんも来てないよ、おじさん。ちゃんと螢の中にいるの。それから、もう悪い事は止めさせるね。地獄が広がったら、皆悲しんじゃうから」
爪を伸ばした螢は何時もと変わらぬ、怯えも怒りも憎しみも無い真顔で影屍を見詰める。
そして二局の戦いは、上空で響華丸の拳が響華傀儡らの拳とぶつかり合ったのを合図に始まった。

「さあ、行くぞ!」
言うが早いか、闇牙は地面を滑るように疾駆して江に接近する。
「?!」
突然間合いに入られた為に対応が遅れた江、その右側から闇牙の左拳が放たれた。
「がぁ……!」
不意を突かれた一撃で小石のように跳ね飛ばされた江は地面に2,3回ぶつかった所で地面を殴り、その勢いで体勢を立て直そうとする。
しかしその背後には何時の間にか闇牙が回り込んでおり、右の拳骨が江の頭頂部に向けて突き下ろされる。
「!危ねっ!」
寸での所で跳んで避けた江は鱗と水の弾丸を無数飛ばし、地面からも水の龍を呼び出して闇牙を吹き飛ばそうとする。
その攻撃を、闇牙は左腕を盾代わりに構えて防ぎながら前進した。
「ははは!地獄の亡者共を喰らった甲斐があったというものだ!この力ならば、この力ならば俺は最強の妖魔となれる!愛染紅妃が恐れたとされる地獄をも制した俺は、最強の鬼となれるのだ!!」
豪語と共に振るわれた豪腕が地獄の業火を呼び起こし、大地を切り裂き、守りに転じていた江の全身をも切り裂く。
「づぅっ!!」
「どうだ!?これでなら俺は斬地張を纏め上げ、天地丸の如き半妖をも捻り潰す事も出来る!貴様はその道となり果てるが道理だ、江!!」
全身を切り裂かれて血が噴き出す江を蹴り、そのまま地面に押し倒した闇牙はそこからもう一度右足を振り上げ、彼の顔面を砕こうとする。
だがその顔に見えるのは焦りでも戸惑いでも無く、純粋な闘志による怒りであった。
「本物の馬鹿だぜ、てめえはよぉっ!!」
「!?」
押し倒された江がギンと蛇のような目で睨み、両腕を闇牙の左足に巻き付かせて思い切り引っ張る。
それによって闇牙は体勢を崩して転び、跳ねた反動を返された状態で投げ飛ばされた。
江はそこで終わらず、一旦両腕から闇牙の左足を離した後で拳から伸びた爪、尻尾で突きの連撃を繰り出す。
「そういうもんで強くなれるかよ、生き物は……地獄の亡者を喰おうと、生きてる人間や獣を喰おうと、腹満たすだけだ。本当の意味で強くなるって事の意味を、てめえは履き違えてやがる!それを今示す!!」
断言と同時に鋭く拳と尻尾が闇牙の胴に突き刺さると、江は歯を食い縛って思い切り闇牙の巨体を持ち上げ、軽く上へ放る。
そして突き出した両手から、氷の飛礫や自身の鱗を伴った激流を放ち、彼を上空へ押しやった。
「何ぃっ!?」
鋼鉄の如き肉体に小さな傷が入り始めた事で、闇牙の顔から余裕が消え始め、激流が止んだ所でその巨体が重力に引かれ、そのまま地面に叩きつけられる。
「強さってのはな、見せびらかすもんじゃねえ。生きてやるって気持ちを示す為のものだ。上に立たなくとも、あたしは人間の中で生きて行ける。隠忍は、生きる事を、誰かを生かす事を目的に生まれたんだ。例え人間や妖魔に否定されたとしてもな!」
「くく……生きる事を目的に、だと?司狼丸もそうだったな。だが結果はどうだ?奴は敵を押し潰す力を持たなかった!だから殺されたのだ!その事実を知った以上、俺が信じられるのは絶対的な力のみ!如何なる反逆者を、血も涙も流す事無く捻り潰す力こそが絶対だ!」
江の言葉にそう抗いながら、闇牙は起き上がって豪腕からの拳の突きを繰り出す。
それを江は受け流し、時折両腕と尻尾を鞭のように振って牽制を掛ける。
「力が全部な訳じゃあない。そんな力ってのは、決まって退魔師にぶっ潰されるのさ。それが時空童子の、司狼丸の散った意味!だがあいつは、その中で本当に取り戻したいものを見つけた!力より大切なものをな!」
両者の攻撃は相殺されず、そのまま相手を掠めて切り傷を生んだ。
「腕っ節の力で、最強になれる訳がねぇんだよ!」
その撃ち合いの中で、速さと鋭さにおいて勝る江が姿勢を低くして駆け、しなる両腕を振り上げる事で闇牙の脇腹を切り裂いた。
「ぐあぁぁぁっ!!貴様……貴様貴様ぁぁっ!!」
大きく仰け反った闇牙も両手で江の腕を掴み、鋭い角を打ち付けるように頭突きを何度も叩き込む。
「うぅっ!」
たった一撃で額が切れて血が噴き出し、次なる一撃が傷口を広げ、脳を揺さぶって江の視界を大きく狂わせる。
「これで、止めだぁぁっ!!」
江の目が虚ろになりかけたのを見て、闇牙は彼の両腕を放し、自分は両拳を組んで江の脳天に思い切り振り下ろす。
その鉄鎚をも凌ぐ一撃は触れただけで江の顔面が瞬時に地面に叩きつけられ、それと同時に血が地面を真っ赤に染め上げた。
手応えあり、これで完全に仕留めた。
闇牙はそう信じて疑わず、薄ら笑いを浮かべていた。
風を斬り、肉を穿つ音と共に自身の胴に激痛を感じるまでは。
「っ!?」
俯せになっていた江の頭を見下ろしていたほんの一瞬だけ、闇牙の視界に槍のような細長いものが通り過ぎた。
それは江の尻尾であり、尻尾は闇牙の胴をしっかりと貫いていたのだ。
「何処までも、貴様という男はぁっ!!」
胴から背中にかけて尻尾によって刺し貫かれながらも、闇牙は激しい怒りの声を上げながら尻尾を掴んで自分の胴から引き抜き、そこから思い切り、もう一度彼を地面に叩きつける。
が、江は両手を地面に突き立てた事で激突を免れており、尻尾の力で闇牙を持ち上げた。
「なっ…!?」
まさか尻尾で巨体を持ち上げるとは思わなかったか、闇牙は江の力に驚き、しかしそれを認めまいと両拳で左右から江の身体を挟み撃ちにする。
「ぐぶぅっ……!」
両肩、そして両脇が悲鳴を上げ、砕けた鱗から血が噴き出、口からも相応の量の血を吐く江だったが、足はしっかりと踏ん張っており、そのまま尻尾で闇牙を投げ飛ばしてから身体を起こして構え直す。
「あたしは……てめえを倒す!倒さないで、あたしは今までの事を清算出来そうにないって事に気づいたからな!」
江が全身の筋肉を収縮させる事で鱗も引き締まり、傷口が閉ざされて出血が抑えられていく。
そして、闇牙が体勢を立て直し切るよりも早く駆け出し、激流を纏った爪と拳、そして尻尾による連続攻撃に入った。
「斬地張を、内側から変えようとしなかった事!時空童子になった時の司狼丸を助けようとしなかった事!だが、そこに負い目を感じている訳じゃあねえ!」
言葉を織り交ぜつつ、江の猛攻は続く。
「外側から見えないものもあれば、内側から見えないものだってある。そして司狼丸が否定された事の意味、そこにも、哀しみの涙があるって事だ!涙に応えるってのが、親を知らなくても戦い続ける、あたしの意義だ!」
闇牙も強靭な胸部で江の攻撃を受けながらも、空いた両手を突き出して反撃に入る。
「黙れぇっ!涙なぞで力がつくはずがない!涙は枷でしかない!涙を流せば奇跡は起きるか?司狼丸が泣いた事で奇跡は、ヤツにとっての輝きはあったか?無かったであろう?それが現実だ!そしてそれを学んだ俺は、純粋に力を求めてこそ妖魔の生き方と理解したのだ!」
闇牙の拳、その一撃一撃は下手な大斧よりも鋭く、重い。
その拳により、江は鱗を切り裂かれ、全身を膾(なます)切りにされかける。
だが、切り傷は少しずつ閉ざされ、彼の真っ赤な瞳は炎のように輝きを増していた。
「だからこそ、応えるんだろうがよぉっ!!」
怒号と共に放たれた江の体当たりが炸裂し、剣のように外側へと向けられた鱗が無数、闇牙の身体に突き刺さる。
「う、おぉっ……馬鹿な!あの頃はそこらの妖魔が毛の生えた程度の貴様が……」
鱗が深く突き刺さった事で、傷が深くなった闇牙は、段々と目の前の事実を疑い始めた。
「お、俺が……何故だ!?俺の身体は……最強じゃ、なかったのか!?」
己の身に降りかかる、死という名の運命。
今まで数多くの他者に与え続けて来たものを、自分が受ける等と思わなかった闇牙は、目の前で血塗れになりながらも妖魔の形相で、しかし人間の光り輝く瞳で睨む江を見る事しか出来なかった。
「……最強な訳ねぇだろ?喰らう事しか知らねぇ妖魔が、鍛える事、支える事、傷つく事を学ばない限り上に登れる訳がねぇ。それが、あたしとてめえの差だったのさ」
戦意、闘志が弱まった闇牙に対し、江は止めとばかりに尻尾を瞬時に、心臓目掛けて突き出す。
尻尾はしっかりと闇牙の左胸に突き刺さり、しばらくしてそこから引き抜かれる寸前に、弧を描いて内側から彼の身体を切り裂く。
それによって闇牙の胴から左胸にかけて真紅の三日月が描かれ、闇牙の口からは血が濁流のように吐き出される。
その血が吐き終わった所で、巨体は大きく後ろへと倒れ、闇牙は白目を剥いて口を大きく開けたまま、完全に絶命した。
「……闇牙、斬地張で学び方を間違えたのが、てめえの不幸だったって事さ……それだけを呪いな。個人を恨んだ所で、何の解決にもなりゃしねえよ」
出血と疲労で息を切らしていた江は、そう呟きながら血を拭い、闇牙の亡骸に背を向けて歩き出した。

「行くよ」
先手を取った螢は、戦士には不似合いとも取れる、両手を横に広げてトコトコ走るという子供らしい動きで影屍に近づきつつ、両手を振って火の玉を飛ばす。
影屍もゆっくりと前へ進みながら鎌を両手に持って火の玉を切り払い、彼女との間合いが狭まった所で横薙ぎを繰り出す。
「よっと」
羽毛のように軽い身のこなしで鎌を避けた螢は自分の足の裏辺りに火の玉を作り、それを爆発させる事で自身を前に押し出して頭突きを繰り出す。
その奇抜な攻撃で影屍は眉間に一撃をもらったが、数歩下がった所で黒衣を斧の形に変えて彼女を叩き落とす。
「更に強まったわしの力、受けて見よ!」
「はいっ」
髑髏(どくろ)の目から黒紫の光の矢を放つ影屍に対し、地面に手を突いた螢はそこから後方へ跳ね起きるような回転をして矢をかわし、ある程度離れた所で左右に飛び移りながら再び彼に接近し、迫る鎌を左手の手刀で受け流して右足の蹴りで黒衣を切り裂く。
だが、命中はしているものの、黒衣が切り裂かれて出来た穴からは黒紫色の靄(もや)が発生するだけに終わった。
「あれ?」
「カカカ、わしは生粋の地獄の者。死者の魂を黄泉へ送るのが本来の死神の在り方だが……」
螢がきょとんとする中、影屍はその靄を触手に変えて彼女を絡め取り、地面に叩きつけながら続ける。
「わしはそれとは違い、道鏡様に忠誠を誓う事で死者を直接地獄へ送り届けるが役目。閻魔(えんま)の裁き抜きでの地獄送りで生じる亡者の怨嗟と悲嘆はまさに道鏡様の滋養(じよう)となる……」
「うにゅぅ……」
顔面から激突した螢は鼻を摩りつつ起き上がるが、影屍の左手から放たれた冷気の飛礫を避けながらも、何かに気づいたらしく声を掛ける。
「もしかして、お母さんを殺そうとした退魔師さん?」
「御名答。わしは隠忍という偽善者を憎み、故にお前の母親を殺そうとしたのだが……それをお前の父親が阻んだおかげで、今のお前が成り立ってしまった。わしを蹴落としたあの退魔師、その血族、隠忍そのものを滅ぼしたい、その願いに力を貸してくれたのが道鏡様だったのじゃ」
「……凄く、やっちゃいけない事だよ、それ」
怒る事が出来ない為に、真顔でそう言い放つ螢に対し、影屍も妖しく輝く眼光をそのままにして返す。
「弱肉強食こそ世の常。手を取り合った所で、すぐに殺し合いへと変わる。それを否定しているのが隠忍の一族……わしはそれが許せん!食うか食われるか、それを破るようなやり方こそ、世の常に背く行為じゃぞ」
「おじさんの決めた事は、皆を悲しませるだけだよ。片方が喜んでも、楽しんでも、もう片方が楽しめなかったら、意味が無い。だから、螢はおじさんをやっつけるの。幸せを、皆の幸せを壊させない為に」
ギュッと握り締めた拳に炎が纏われ、螢は疾駆した上でそれを影屍の顔面に叩き込む。
その直撃はしっかりと入っていたのか、影屍は大きく吹き飛ばされて転倒した。
「ぬっ……おのれ小娘!何処までも世の中を汚すつもりか?平和等、すぐに崩れ落ちるものである事が何故分からん?争い合うが人の運命ならば、平和等不要のはず!」
すぐに起き上がった影屍の放つ影の触手は槍のように無数伸び、追撃しようとする螢の足を止めつつ、先端からの雷撃が彼女を打ち据える。
「うぅっ……」
「五行軍の崩壊も、地獄門の解放も、時空童子の覚醒、そしてその時空童子の封印も、全てが隠忍に起因しているではないか!そう、平和を望む者の為に他の者はそれを異質とし、否定する……隠忍は被害者面した加害者なのじゃよ!それで十分じゃ。わしがお前の母を殺そうとした理由はなぁっ!だが実際に殺したのはお前自身じゃ、小娘!その罪の重さを味わうが良い!」
雷撃で動きが鈍った螢に、影屍の触手が絡みつき、手足に先端が突き刺さると、そこから少しずつ、淡い橙色の光が吸われていく。
他ならない、彼女の力だ。
「あ……力が、抜けちゃってる……ん~……」
まるで眠気に襲われたかのような脱力感に、転身が解けてしまった螢はそのまま触手からの電撃を受け、影屍の鎌が首に宛てがわれる。
「っ!」
「如何に泣かず、怒らず、怯まぬお前でも、殺される恐怖には敵うまい。司狼丸も人の為と言いながら、舌の根が乾かぬ内に己の命の危機で力を覚醒させたのじゃからな……汗が良く見えるわい」
影屍の言うように、螢の顔には冷や汗が幾筋も流れており、その全身も小刻みに震えている。
「(ああ……これが、”怖い”って感情……涙は流れないけど、動けないってこの事なんだ……)」
自分の身に起きている異変に、螢の閉じた口は歯をカチカチ鳴らしている。
それが影屍にとっては心地良く聞こえたのか、鎌から左手を放し、骸骨のもの同然なその手の爪でゆっくりと螢の右頬を切り裂く。
「痛っ……」
「じっくり、恐怖を受けるが良い。そして完全にお前の心が恐怖で凍りついたら、その凍った魂をしっかりと狩り取って道鏡様への供物(くもつ)としてくれよう……」
震えは大きく、全く動く気配が無い。
それは間違い無く、この少女を容易く殺せるという事だ。
何より自分の影の触手は、転身の解けた彼女から更に法力を奪っているのだから。
影屍はそう確信すると、少しずつ、少しずつ鎌の刃を螢の首筋に近づけた。
迫り来る死、それに対する恐怖に、螢は段々と震えが大きくなるのを感じていた。
「(皆、こうして怖くて、動けないまま死んじゃったんだね……お母さんも、この震えで動けなくなって、螢に殺してもらう事でしか解決出来なかったんだ……でも、螢は……)」
眉間に一度も皺が寄った事が無かった螢。
今も全く、眉間は歪んだりしない。
それが自分の生まれつきである事、即ち怒りと悲しみを抱けないからである事は分かっている。
だから、彼女は前へ進む事を、戦う事を選んだのだと認識していた。
その気持ちは今も変わっておらず、それを足掛かりに彼女は目を閉じて小さく深呼吸する。
「(螢は……死なないよ。恐怖は、要らないものなんかじゃない。だって、それが無かったら響華丸は強くなれなかったもん……だから……)」
先程まで大きくなっていた身体の震えが治まり、脱力感はあるのに意識が遠のく気配が無い。
それを感じていた螢はパッチリと目を開き、自分の心の奥深くにある光を強めた。
「……おじさんに負ける訳にも、殺される訳にも行かないよ……!」
「?!」
強まった光と共に放たれた言葉が切っ掛けとなり、螢はそれまで冷たくなっていた自分の身体が温もりを取り戻し、身動きが取れるようになっていく。
それを確かめるや否や、彼女は左手で影屍の鎌を掴み取り、彼の顔面に向けて右手を突き出した。
同時の行動で、螢の左手から血が噴き出し、影屍の目の部分と額に鉄矢が突き刺さる。
「う、うおあぁぁ!?」
奇襲を喰らった影屍が思わず両手で顔を押さえる中、螢は飛翔して鉄矢を彼の足元に、陣の要となるように撃ち込んで行く。
「おじさんの言ってた事だけど……皆ね、一歩ずつ、一歩ずつ間違いを理解して歩いているんだよ。崩れても、また組み立てて、少しず丈夫にしていけば良いから……だから、螢は何度でも立ち上がれるよ。この暖い心を伝える為に、皆を笑顔にする為に、ね」
陣が完成すると、地面に不思議な術式の文字が描かれ、影屍の動きを封じる。
「こ、この結界は正しく奴の……!振り解けぬ!」
「皆の笑顔を作るのは難しい……だから、頑張るの。そうした難しい事も乗り越えてこそ、隠忍の未来を切り開く存在だから……」
影屍の動きが封じられた中、螢は印を素早く組み、術を発動させた。
「……破邪浄炎(はじゃじょうえん)!」
何時にない凛然とした声と共に、陣から炎が上がり、影屍を瞬時に飲み込む。
「ぎゃあぁ~~!!」
その炎に飲まれた影屍は黒衣を焼かれ、露になった骸骨の身体は下から見る見る内に砂のように崩れ落ちていく。
だがその中から頭蓋骨(ずがいこつ)を頭部としている悪霊の如き姿となった影屍が現れ、炎を打ち消しながら螢に急接近する。
「ふわっ!?」
思わぬ接近に対応が遅れた螢はそのまま影屍に首を掴まれ、締め付けられる。
「わしは人間でも妖魔でも無い、まして地獄の亡者でも無い!古より現れし、死の悪霊じゃ!お前は直々にこのわしの手で魂を抉り出してくれる!」
悪霊の両手が、霊体でありながらも少しずつ螢の首に食い込み、そこから邪気を流し込んでいく。
螢はその度に痙攣(けいれん)を起こし、目が虚ろになりかけ、口からうっすらと血が流れ出る。
「……螢は、頑張れるよ……うん!」
傍から見て、誰に対してかは分からない言葉と共に螢の瞳に光が戻り、瞬時に彼女の両手が影屍の手首を掴む。
すると掴んだ部分から光が溢れ出し、影屍の全身へと広がったその光は内側から彼を焼き始めた。
「な、何だお前は!?痛みを、苦しみを感じているはずなのに……」
驚く影屍に対し、螢は転身して全身の力を高め、自分の首から影屍の手を引き剥がしながら、何時に無い凛とした声で答える。
「だからだよ。痛みを、苦しみを感じられるから、螢は死ぬって事の意味を、殺すって事の意味を理解出来た。何より、生きるって事が、幸せでいられる事がどれだけ大切なのかが分かるの。それを、おじさんに踏み躙られる訳には行かない……!だから、螢は戦う!頑張る!勝つ!!」
太陽の輝きのような、螢の全身の輝きが影屍を照らし、段々と彼を消滅させていく。
「おお……あああ……あぎゃあぁ~~!!」
消滅と同時に高熱が入ったか、影屍は絶叫してもがき苦しむ。
それを見た螢は右拳を強く握り締めると、すぐさま拳を影屍の胸だった部分に突き刺す。
その一撃は光を放ち、影屍の身体の消滅が一層速まった。
「隠忍が……救世主となっては……この世界に認められては……なら……ん……の……じゃ……」
それが影屍最期の言葉であり、言い終わってしばらくしてから頭蓋骨部分が完全に消滅した。
「ん~ん。存在する事を受け入れないと、誰も、自分を含めた誰も好きになれないよ……だから、次に生まれて来る時は、もっと心を広く、ね」
影屍の成仏を願わんばかりに合掌した螢。
目頭が熱くなったり、涙が溢れるという事は無く、ただ自分が成すべき事を成す誓いと共に。

赤黒い翼を羽ばたかせて集団で来襲する響華傀儡は手にした爪で響華丸に斬り掛かる。
それを響華丸は右手の剣で切り払いつつ、響華傀儡に一撃ずつ斬撃を浴びせ、擦れ違った所で光弾を叩き込んでいく。
そうした攻撃でも落ちずに迫って来るものへは左拳を突き刺し、その衝撃を後方へと及ばせる事で撃ち貫いた。
同じ強度を持つ鬼神と言えど、響華丸の方が純粋に攻撃力が上である結果だ。
ならばと、残った響華傀儡も甲冑から伸びる鋭い爪を手裏剣のように飛ばし、拳から光の矢を無数放つ。
地獄の赤黒い空を更に禍々しく彩る黒紫の光の矢はまるで猛禽(もうきん)の如く響華丸を追うが、彼女も慌てる事無く自身の周囲に光弾を数個展開させ、それらで矢を撃ち落とし、接近する響華傀儡を迎え撃つ。
「消耗を狙っているようだけれど……手間取る訳に行かないわ」
距離を詰め、鋭い爪を伸ばして来た響華傀儡。
彼等の爪が自分に触れるか否か、その刹那を見計らい、響華丸は上空へ飛翔する。
その結果、響華傀儡らは一箇所で衝突し合い、互いに切り裂き合う格好になった。
これが響華丸の狙いであり、彼女は翼を広げて加速に入ると、分身するように動いて左手から青白い光の槍を何本も放つ。
まるで全方位からの攻撃を思わせるそれは確実に響華傀儡達の逃げ場を奪い、命中と同時に大爆発を起こす。
が、その爆風の中から、禍々しい鎧を身に纏い、一回り大きくなった響華傀儡が姿を見せ、響華丸に向けて突進を繰り出した。
「!合体して力を高めた、か」
突進を回避するも、軌道を変えて戻ってきた響華傀儡の右拳を防ぎ切れず、押し飛ばされる響華丸。
装甲が僅かに傷ついていた彼女は続けて放たれる剛拳を紙一重で回避するが、掠っただけで装甲に小さな切り傷が入り、肌にもうっすらと青白い筋が入る。
直撃すれば、彼女の身を纏う装甲が粉々に砕けて大痛手を被る事は火を見るより明らかだ。
だがそれへの警戒はほんの僅かで済んでいたのか、響華丸は自分からその拳を喰らいに向かった。
「っ!!」
肉を打つ音と共に激痛が全身を貫くのを感じた響華丸。
一瞬目が泳いだ彼女は、即座に響華傀儡の右拳を右手で掴み、追撃の左拳を自分の右拳で合わせるように打つ。
相討ちになるかと思われた彼女の拳は僅かに装甲が砕けたのに対し、響華傀儡の方は拳だけでなく、左腕全体の装甲が砕け、露になった部分にも無数の傷が刻まれ、青白い血が吹き出る。
「はぁぁ……!!」
静かな、しかし熱い裂帛の気合と共に響華丸は瞬時に左右の拳の連打を放って響華傀儡の装甲を砕き、装甲が砕けた所に光の剣を連続で突き刺す。
出鱈目ではなく、まるで北斗七星を描くかのような突きなのだが、八撃目は輔星(ほせい)に当たる部分を思い切り刺し貫き、そこから抉るような斬撃を放った。
「死の星の一撃、これで滅しなさい」
言葉と共に光の剣が彼女の左手を鞘とするかのように納められ、鍔鳴りに似た音と共に響華傀儡の身体が二つに両断、爆発する。
爆発時に散った肉片がモゾモゾと動き出して再生するかに見えたが、その傷口部分は青白い光で焼かれていく内に全て光の粒子となって消滅し、響華傀儡は二度と甦る事は無くなる。
「心を持たずして、鬼神の真の力は引き出せないわ……」
消え去った響華傀儡に向けてそう言い放ち、響華丸は江と螢が無事であるのを確認して地上へ降りた。

3人は合流し、傷の手当を行なった所で中核への穴の前に立つ。
壁は今までの道と同様に生き物のような脈動をしており、地獄の瘴気の影響でか、赤黒い輝きが明滅している。
「ん~……凄い邪悪な気……このまま普通に飛び込んだら力が全部吸い取られちゃうみたいだね」
「地獄のど真ん中だからな。鈴鹿がビビるくらいってのが、此処からでも良く分かるぜ」
そう言いながら大穴を、その奥深くを見詰める江の全身は僅かに震えており、顔から幾筋もの冷や汗が流れている。
螢も呼吸が少し荒くなっており、瘴気に負けまいと唇を噛み締めていた。
「……掴まってて。私の展開する結界なら、あの瘴気の通路を通り抜けられるはずよ」
言いながら、響華丸は清い青の結界を球状に張り、手を繋いだ2人をその内側に入れると、少し浮遊して穴の中へと入った。
穴の壁からは特に何も仕掛けて来る様子は無いが、赤黒い明滅は絶えず続いており、入口が小さくなって見えなくなっても、出口は一向に見えない。
それでも3人は手を繋いだまま降下し、下をジッと見詰め続ける。
数分して、壁の赤黒い明滅が激しくなり、緑色やら黄色、紫色と壁が妖しく輝くようになった所で、出口たる穴が見え始めた。
その出口を通り抜けると、3人は大きく開けた空間に降り立った。

血のような赤一色の床、そして赤紫色と青の斑な空間。
それは上のものと変わりは無かったのだが、今し方響華丸達が潜って来た穴からは青白い霊魂が無数出て来ており、それがある方向へと集まって行く。
その方向に道鏡は居た。
胡座を掻き、杖を横に突き立てた状態で諸手を掲げ、霊魂を自分の方へ引き寄せながら。
道鏡に吸い込まれた霊魂は彼の諸手が下ろされると同時に赤黒い色に変わって先程通った穴へと入っていく。
即ち、道鏡の力を受けた霊魂が地獄門へ出ているのだ。
そして、その霊魂の方へ邪気が集中していたのだろう、江も螢も、響華丸と繋いでいた手を放しても、脱力感に襲われる事無く身構えた。
「……道鏡」
響華丸の声に、道鏡は手を止めて立ち上がり、彼女を睨む。
開かれた目は真っ白だが、苛立ちが見えていた。
「……響華丸……全てはお前が仕損じた所為じゃ。わしは、『向こう側』への復讐の為に手を尽くし、力を尽くした。司狼丸の持つ時空を操る力、その存在を利用する事での奴の心の闇の増幅…それらにより、わしは高位の存在に進化するはずじゃった……それをお前は、完全にぶち壊した……!」
突き出された杖からはまだ攻撃の光は無いものの、道鏡の身体からは禍々しく赤黒い邪気が溢れ出ている。
彼の怒りを示すかのように、炎のように揺らめいて。
「……あんた、本当は何がしたいんだ?何の為に、『向こう側』で何をやらかしたんだ?」
江が単刀直入に問えば、道鏡も突き出した杖を戻しつつ答える。
「簡単な事じゃ。世界を我が手に納める為、数多の存在を利用した。じゃがそれを阻んだのが隠忍の一族。隠忍の中でも鬼神の血族とされている者は『向こう側』では救世主とされていた。ならば、彼等が救世主とされず滅びるようにしなければならん。それを、この世界にたどり着いた折に画策した。あちこちに周り、隠忍が半妖である事、妖魔からすれば裏切り者である事を伝え、絶滅出来るように、な……」
「でも、絶滅まではさせなかったんだね?司狼丸の力を見た時に……」
道鏡からすれば隠忍は邪魔な存在、最大の怨敵。
しかし今日に至るまで自分達が生きているという事は……
その鍵が司狼丸にありと、螢は改めて認識していた。
「本来ならば泳がせた上で一網打尽にするはずじゃった。しかし時空を操る力を、神ですら手にしていない力を目の当たりにした時、わしはそれの全貌を明らかにした上で手に入れる事に決めたのじゃ。半妖にあれほどの力があるとは眉唾(まゆつば)ものではあったがな」
「そして、全てが明らかになった事で、後は力を回収した上で『向こう側』を破壊する予定だったのね……この世界と『向こう側』の隠忍を根絶やしにした上で」
その一環として自分の存在があるとも、響華丸は含みを抱き、道鏡もその通りと首を縦に振る。
「そうじゃ。さて、響華丸よ……何故お前にその名が与えられたか、分かるか?」
不意にそう投げ掛けられた問いに、響華丸は無言で首を小さく横に振る。
間違い無く目の前にいる道鏡こそが、自分を造り、名前を与えた存在、即ち親に相当する者。
だが、そうした事を深く考える理由は無かったのだ。
そうした反応を受けて、道鏡は静かに語り始めた。
「ならばお前達の滅びの前に話すとしよう。司狼丸の力を見てから、わしは2つの計画を立てた。時空を遡り、歴史を書き換える時響(ときゆら)の計画、これは時空童子の力を手にする事が絶対条件じゃった。そしてもう一方は並行世界を渡り、わしの居た世界への復讐を行いつつ、外部からの介入を未然に防ぐという華盾(かじゅん)の計画。それを果たす為の、最大の手駒としてわしが造り上げたのが、隠忍を模した人型の武器、響華傀儡……そう、響華丸よ、お前が倒してきたものじゃ」
その説明に江と螢も納得していたが、江は少し驚いていた。
「武器だと……!?それも人間の形をした……」
「じゃあ、そのお人形さんには本来、時間・時空を操る力と、並行世界を移動する力、つまり司狼丸と伊月さんの力が組み込まれるはずだったって事なんだね……」
「如何にも。伊月が死んだあの日、ヤツの血を手にし、効力を調べる中でその響華傀儡が出来たのだが……男か女か、赤子の状態で生み出すか、ある程度成熟した形で造るか……それらの試行錯誤の結果、完成体として出来上がったのは響華丸、お前だけだった。力も、生命力も、肉体や精神の安定性も、お前以外にわしが満足したものは無かった。後にも先にもな。お前だけが並行世界へ渡る力を開花出来たのじゃ。他は戦う為の武器、人形でしかない、文字通りの傀儡じゃった」
響華丸は道鏡の言葉をしっかりと飲み込み、しかし動揺する事無く質問を投げかける。
根本的な疑問、そしてこうした事態になった、最大の原因を知る為の問いを…
「……私を『向こう側』へ送った時、何故私一人だけだったの?私を導き手として傀儡を多く送り込めば、あなたの目論見通りになっていたはずよ」
「良き問いだ……しかし答えは実に単純じゃよ。響華丸、お前は一人で事を済まさなければならなかったのじゃ。忌々しい隠忍共を一人で抹殺してこそ、真なる復讐の完遂となっていた。仮に数で攻めたとしても、お前と傀儡の差は天と地以上のものである故に、奴等からすれば傀儡など数に入らぬ。この地獄では、地獄特有の瘴気があるからこそ、傀儡はようやっと隠忍に負けぬ力を手に出来たのじゃ。そしてお前こそは、『向こう側』の隠忍の中で主力たる男達、奴等を抹殺し得るものにして響華傀儡の完成体、即ち奴等を超えし我が最高傑作……故に響華丸と名付けたのだよ……!」
説明を受けて、螢も今まで抱えていた疑問が此処でしっかりと解決し、意味を理解出来た。
「そっか。普通、後ろに『丸』って名前が付いている人は男性だもんね」
「何にしても、道鏡が私を買い被り過ぎていた事に変わりは無いわ。力の有り方を間違えたその時点で、ね」
冷静ながらも、鋭く切り込むような響華丸の言葉に、道鏡は歯軋りをしながら邪気を解放させ始めた。
「……時響と華盾、わしの復讐を果たし、栄光を手にする為の要となっていたこれらが失敗してしまった以上、わしは全てが恐れる手段を取らなければならん。そう、地獄との同化こそ、わしの最後の切り札!」
宣言と共に、捻くれた杖が再び地面に突き立てられると、道鏡の足元の地面が無数の触手となって彼の身体を取り込み、そのまま沈んでいく。
その束の間、彼が立っていた場所とその左右が大きく隆起し、赤で染まった三つ目の髑髏の頭部、同じ色の骸骨の手という巨大な化け物が姿を見せた。
頭頂部からは寄生虫のように大きな芋虫が突き出て、無数の牙と触手で覆われた口からは毒々しい緑色の粘液を垂らしている。
芋虫の額にある第三の目には道鏡の額に描かれていた梵字が浮かび上がっており、その化け物こそが地獄と一体化した道鏡である事を断定させていた。
「おおお……これだ……よもや地獄にこれほどの力があるとは…フハハハハ!ハーハハハハ!最初からこうすれば、わしは全てを意のままに出来たのじゃな!アーッハッハッハッハッハッハッ!!」
若返った声で笑う道鏡は髑髏に据えられた黄色い眼球で響華丸達を睨みつける。
響華丸達もその眼光に臆する事無く、臨戦態勢を取った。
「世の中は意のままになんないのが普通だ。ガキじゃああるまいし、てめえの都合を世の中に押し付けんじゃねぇっ!苛められる覚悟が、踏み潰される覚悟があるんなら、あたしも同じだ!てめえをその腐った野心ごと、叩き潰す!」
豪雨が降り注ぐかの如く、川が氾濫(はんらん)するかの如く怒号を放った江は攻撃用の鱗を逆立たせ、尻尾の先端も槍のように鋭く尖らせる。
「幸せは、あなた一人だけのものにしたらダメだよ。それと、殺し合いと奪い合いに、本物の幸せは無い。だから、螢は道鏡、あなたを止めるね。本物の幸せを、この世と地獄、どっちにも届ける為に」
あくまで陽だまりのような温もりを絶やさず、闇の中に消える事のない明るさを保つ螢も身体中を巡る力を強め、それを炎として背中に背負う。
「……あなたは、どうやら完全に打ち倒されない限り、止まらないようね。だったら、私も真っ直ぐ貫くわ。信じた道、手にした想いを……!」
地獄の瘴気を完全に浄化せんと、己の信念、友との誓い、散った者達の願いを光に変え、心と身体を輝かせる響華丸はその光を瞳、角、拳、そして翼に集約させて浮遊する。
「ほざけ、半妖!!」
3人の様子を不快に感じた道鏡はそう言い放つと同時に、泥を掻き分ける要領で両手を地面と同化させたまま動かし、掌から黒い雷撃を放った。
「来た……!」
「おわっ!?」
「わわっと」
咄嗟に上へ飛んだ3人は雷撃を避けると、江と螢は道鏡の手に向けてそれぞれ激流と炎を叩き込む。
2人の攻撃が両手を押さえ込む中、響華丸は道鏡の頭部が放つ光線を避けつつ、自分も光線で反撃に転じる。
しかし攻撃が命中して髑髏に傷を付けても、その傷は見る見る内に塞がり、開かれた口から赤黒い炎が吐き出されて響華丸の腕を掠めた。
「くっ……何て邪気……!掠っただけで……」
強烈な痛みと同時に、力を吸い取られる感覚を覚えた響華丸は改めて道鏡本体を睨み、光線と炎を掻い潜りながら斬撃を放つ。
その一方で江は道鏡の右手の指を腕で絡め取るが、道鏡の力は闇牙が赤子のように思える程のものであり、魚釣りの要領で軽く江を上へ放り投げ、掌からの雷撃で彼を焼き焦がす。
「うがぁっ!」
螢も道鏡の左の五指から放たれる光線を避けながら近づいていたのだが、突き出した右足が道鏡の左掌から生じた結界で弾かれ、そこから空気を切り裂く衝撃波で弾き飛ばされてしまった。
「はうぅ~、強い……」
2人はまだ動けるものの、今までにない強大な力に歯噛みしており、響華丸の光の剣が道鏡の頭部に命中しても、ほんの数秒だけ焼けた切り傷が出来上がっただけに終わり、後はすぐさま修復してしまうだけ。
その間に芋虫が口からの粘液を響華丸に吐きかけると、その粘液は彼女の装甲を溶かし、肌を焼き焦がしていった。
「地獄の瘴気をそのまま叩き込んでいるというの……?でも、まだ!」
響華丸も全身の力を増幅させて粘液を吹き飛ばし、光弾を雨霰(あめあられ)のように道鏡の頭部へと降り注ぐ。
それらにより、頭蓋骨の傷が激しくなり、幾分か修復速度が落ちたのだが、道鏡は唸り声を上げながら首の付け根より無数の鋭い蔦を伸ばし、彼女の翼を刺し貫いた。
「!?しまった!」
「貴様はたかが鬼神……隠忍でしかない!そんな貴様が、地獄そのものとなったわしを倒そうなどとは、笑止千万!身の程を知るが良いわ!」
蔦が響華丸の翼を切り裂き、落ちてきた彼女を口からの炎で焼く。
炎が消えると、青白い血と傷で全身が染まっている響華丸が地面に叩きつけられた。
「ぐ……道鏡……!」
「憎め……憎むが良い!それこそ苦境にある者達の成すべき事!敵を倒す為の最大条件!かつて貴様が『向こう側』の天地丸を殺そうとした時のようになぁっ!」
3人がよろよろと立ち上がる様を嘲りながら、道鏡は黄色の目を妖しく輝かせていた。




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あとがき
終盤となった訳ですが、それぞれの宿敵と決着を付けると同時にという今回は、量産型ONIとも言えるものを投入してみました。
道鏡がONIを人造で造れるという、今作独自設定を活かしてのものでありますが。(但し、ONIを人造で造れるというネタは幕末降臨伝ONIで既に出てます))
そして此処でようやっと、響華丸という名の由来、そして疑問となっていた謎の数々が解明されました。
絶体絶命のピンチに陥った響華丸達は、果たして地獄と一体化した道鏡を倒す事が出来るのか?
次回、最終話となります!
最後までのお付き合い、お願い致します!

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